MelancholyDampirの日記

ウツな人の独り言

ウォーリーを探さない

バレンタインはすっかり過ぎていた。
が、昨日娘と息子がぎゃぁギャーとケンカしていたので起きた。
「それは姉ちゃんがつくってるからまだダメダメェ!!」
悲痛な半泣き声である。
『こぉ!コォ!!』
息子が日本語寸前の造語を叫んでいる。
「チョコ」であることは親だから知っている。
むっくり起きる。
娘がそそくさと手作りの小さい可愛いチョコをくれた。
感無量。
もう思い残すことはありません。
チョコに関しては・・ね。
 
バレンタインなど、全てに余裕があるヒトの何となくイベントである。
受験生や就活・婚活中の方、そのた諸々でチョコどこじゃねーべさ!!のヒトが大多数である。
ウツ人もそれである。
最近は各地で大雪が報じられている。
ザマァミロ
そういいたいトコであるが、慣れない雪と寒さに気分の変調が増幅されていないか・・。
ウツ人のくせにみんなを心配する。
偽善であるが構わない。
知らぬ存ぜぬ、で流すような回路は、お利口じゃないから持っていない。
 
みんな、心も身体もつかれきっていないだろうか。
痛いトコもあるだろう。
大丈夫。
ボクは、全身ダーツという面白い遊び(いじめだったのか?)で大出血したが、もう子供の頃である。
まだ、生きている。安心しろ。
辛いことも多かろう。
大丈夫。
ボクは、もうすぐ「会社から審判を受ける」つまり、また退職の圧力だ。
それに向かって凹んではいるが、みんなのためにもギャグの一発でもかましてこよう。
死にたいこともあるだろう。
大丈夫。
ボクは死にたくてたまらなかった。
死なないで。そう言われても「生きているものの希望」など辛いときは重荷でしかない。
死のうと決めたら早い。
全てが死に直結する。
ソレがウツ人だ。
どんなに懸命に生にしがみつこうが、振り落とす力をウツは持っている。
大丈夫。
一人死んだトコで、日本も世界にも何の影響もない。
誰にも迷惑をかけない・・そう思うときもあるだろう。
書いていて・・言葉はすっごい残酷だと思う。
でも、でも生きてくれ。
 
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ウツ人の場合、悩みというのは自分への罪悪感からくる。
罪悪感が雲のような大きな不安という曇天になり、やがて選択肢を狭めていく。
世界に一人・・孤独と焦燥から、叫んで走り出したくなる。
大丈夫。
道は違っても、きっといつか、その堅く痛い道は通り過ぎることができる。
毎日は残酷だ。
昨日と同じ辛さはこない。
今日より明日はもっと辛いんじゃないか・・そんな不安、いや確信で頭は飽和する。
昨年のほうが良かったんじゃないか・・そんなIFが周囲を回りだして身動きが取れなくなる。
大丈夫。
ボクでさえ通っている道だ。
そして、これからも長く通っていく道だ。
いつか、遠い道の先で会おう。
ウツの波のほんの少しの凪の狭間で、ボクらは何かを共有している。
「お前と分かち合うものはない」
その通りだ。
誰にも、あなたと同じ生き方は出来ない。
ソレは、あなたの代わりは誰もいないからだ。
たった一度の自分という「役」。
今はウツ人という役・・これは重荷でおまけに主役ではない。
つまらない、きつい、そういう役である。
役不足という言葉がある。
「ウツなど、自分がやるには役不足だ」・・そう使うのが本来。
ウツなどという端役では死ねん。
もっともっと自分にふさわしい役が必ず来る。
そう信じよう・・と思う。
ずっと信じてきた。
これからも信じるしかない。
自分を信じられるのは、多分自分くらいしかいない。
医師も他人。友人知人も残念だが他人。
家族や親戚さえ、ときにはもっとも残酷な他人にもなりうることもある。
ウツ人の目から、何が見えるかは判らないのだ。
 
ボクの手の甲には無数のタバコの跡がある。
包丁やナイフ、ありとあらゆるものを隠された時期があった。
自分を責めたい、そして傷つけた向こうに何かある気がした、いやあるのだ。
だから数年前まで毎日、毎日、火を押し付けて、出血して血が燃えるまで押し付けていた。
手から足・・親は嘆いた。妻は必死に治療してくれた。
タバコはいつかその火を消した。
手を見るたびに思う。
どんなに自分を責めたって、いっつも周りを悲しませているだけの事実。
ソレを「判らないくせに・・同情で心配していろよ」という度し難い傲慢・・。
こんな自分でも・・せめて生きるぐらいしなくて・・どうする。
 
ウォーリーとは悩みである。
悩みなど探したらキリがない。
悩みは悩みしか連れてこない。
そして不安の渦に巻き込んで、どっか遠くに意識を連れ去るのだ。
踏ん張れ!
みんな、まだまだ生きているんだ。
実感して欲しい。
血の流れ、呼吸、体温、動ける喜び、泣ける感情・・
 
どうか、ドント・ウォーリー!