MelancholyDampirの日記

ウツな人の独り言

aicezukiさんと魔女狩り

カンニングもどきが、殺人より扱いが大きい。
つくづく平和だと思い、何かが琴線を揺るがす。ざわざわと怖気がする。
 
カンニングは不正であり、同様の行為も不正である。
通常に限界まで勉強して、実力だけで受験するのが大原則である。
それを実力以上の何かを求めれば、不正になる。
試験という門扉をカネで叩いて開けば犯罪となる。
不正は正しくない、よって厳しく罰する。
正しいという基準は「問題に自力で答えるということ」であり明白である。
ソレは異論ない。
ばれなきゃいい!そういう感覚でいるうちは転がったら落ちるトコまで落ちるだろう。
底などない。自分の手か足かどちからを差し出して、ガケに突き刺して止まるしかない。
不正で合格しても偉くなればいいのか?
道理ではない。
暴力団から弁護士になっても全く偉くはない。
普通に勉強して、弁護士になった方が偉いに決まっている。
カンニングをしてはダメなのか?
ネットで疑問を解決してはダメなのか?
そういうすっとぼけた意見も無視する。
誘惑に負けて、ソレを棚上げしたところで問題はすり替わらない。
 
一個人が不正をした。
試験で不正をした。
ソレは本来、表沙汰になる前に解決してしかるべき問題である。
マスコミは興味で書きたてるだろう。
が、警察をはじめとする権力は、表沙汰になる前に解決してしかるべき問題、には入ってはならない。
不正や非行、犯罪を「予防」するのは、小さなコミュニティの問題である。
町内会とか、学校、会社、大組織・・そこではどうにもならない、どうにもできない、個人が危うい、
そこでふるうべきが権力という大剣である。
子供が万引きした。
親はかばうだろう。当たり前だ、子供を信じなくてどうする。
学校もかばうだろう、当たり前だ、子供を警察に突き出すのは無能力を晒すことことと同義だ。
被害を受けたトコが表沙汰にするかしないかは、警察に任されることが多い。
『弁償しなさい、そしてもう二度としないと約束しなさい』
親の涙と先生の謝罪を目の当たりにし、警察が同じ視線で諭してくれた、
そこで止まれるローリングストーンも多いのだ。
そういう「小さなコミュニティ」は、もはやないらしい。
まず、犯罪ありき。
疑わしきは罰しろ!疑わしきは表に引きずり出せ!謝罪させろ!
何を懺悔しても同じなのだ・・謝罪してもしなくても、死刑なのだ。
ボクは生意気なガキんちょの頃からこう呼ぶ。
「警官隊の後ろから石を投げる奴ら」
自分の常識や良心に自信はない・・
が「多数決でどうやら勝ちそうだ、いや圧倒的らしい」・・そういうときは加勢したいヒトが多い。
誰jかを叩きたい、血が見たい、自分は・・自分が殴ったと、石を投げたと「ばればきゃ」いい。
恐ろしい。
オーメンエクソシストより恐ろしい。
その行動の根拠は、ただのエゴである。
ソレも、自分以外の誰かが犠牲になるなら、何でもいいという、底知れないエゴ。
自分は矢表には絶対に立たないが、楯を構えた屈強な集団の後ろからなら大いにやりたい・・エゴ。
 
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魔女狩りが恐ろしいのは、魔女は居ませんでした、というその一点である。
政情は不安、生活は苦しい、疫病は蔓延する、誰も信じられない、誰が悪い・・。
自分は悪くない、じゃぁ誰が悪い、誰かが悪い!誰でもいい!自分じゃなければ!!
魔女がつくられるまで時間はかからなかったそうだ。
当時の識者がまず捕えられた。そして、その愛人が捕えられた。
女は「穢れ」とされ、卑しめられ、辱めるのが常識だった。
常識だったのだ。理由は・・・昔からそうだったから・・・恐ろしい。
男の方が優れているとされた、理由は・・・女に勝てないからそうした・・恐ろしい。
それでも女を殺すことにはためらいがあった。西洋には罪の意識がある。
殺人は極悪であり、宗教的にも例外なく許されなかった。
でも、誰かが悪いのだ!そう信じる「警官隊の後ろから石を投げる奴ら」の数の巨大。
普通の、ただの女が魔女になるには時間も理由もいらなかった。
「彼女が魔女だと思うヒト」・・・手を上げる大多数に、ただの女のどんな叫びも届かない。
そうやって、昨日の善人は、今日の魔女になり、明日は罪人として処刑されていった。
 
 
このクニの権力は良く深く考えた(はずだ)。
ただの一人が、同じカンニングのような行為をするはずがない。
きっと、複数の悪質な人非人からなる組織があり、日本の最高学府の試験体制を揺るがしているのだ。
権威を守らなければ・・。
そこに悪意はなかったと思う。純粋に「正規に受験している他の多く」に配慮してのことだ。
いち警察署ではなく、ひとつの警察本部が捜査を開始した。
理由は簡単。
社会的影響が大きいからだ。
社会的影響を大きくしたのはマスコミ、報じるべきはもっと多くあったのだろうが。
京都・早稲田・・・名だたる大学に高い頭脳が入っていくのを、指をくわえてかみちぎってきたマスコミ。
同様に、いつか堕ちてしまえ、と心のどこかで思っていた大多数の嫉妬心。
それらが「犯人は巨魁巨悪!」という(想像の)一点で一致し、大掛かりな魔女狩りがはじまった。
 
逮捕した魔女は「ただの受験生」であった。
未成年に対しては、マスコミのやりたいこととできることの間には大きな隔たりがある。
が、そこを踏み越えてはならない。
罪を告発できても、権力に代わって罰してもならない。
まして家族や親戚、細い友人知人を追ってまで人格を否定してはならない。
正せる過ち、は多いのだ。
どんなに当事者を叩いても、もう貴方達の欲しいものは出ない。
『合格したかった』、本心でありそれ以上は出ないと思う。
今も「鮮やかすぎる手口の解明」に御旗のもと、aicezukiさんに突き刺さるだろう処刑具の数々。
あのヒトだってヒトだ、魔法も秘薬も使っていないのだ。
しかし、そして、新たな魔女狩りのために、より厳格により陰湿になる受験前の防止策。
受験生はその日のために必死に勉強してきただけだ。
不正をしても入ってしまえば良い・・・そんなに受験生を疑うか?
疑うべきは、そう、「初めから疑ってかかっている」貴方達の頭の中ではないか?
魔女などいなかったのではないか・・・そうは誰も思っていないであろう。
そこに恐怖がある。
不正は許されない。許してはならない。
そして、罪に対して、大きすぎる罰もまた、許してはならない。
 
防止策を誇ってはならない。
どんな不正防止も「学校の業務」であり、当たり前である。
カンニングを見抜き猛省を促す、その一方で試験の品質を上げるのも、また学校の業務である。
防止策は誇ってはならない・・それ以前に、防止策を講じていなかったのかと言われてしまう。
 
この事件(いや事件ではない)に犯人などいなかったのだ。
犯人を欲しがった、いい大人が多く居ただけである。