MelancholyDampirの日記

ウツな人の独り言

生活物資狂騒曲

昨日はホワイトデーだったので思い切って「外食」した。
物欲のない妻と娘に応えるためには、短絡的だが「食欲」しかないと思ったからだ。
ガストで夕食を食べ、デザートの為だけにびっくりドンキーに行った。
混んでいてびっくりした。
電飾こそ自重していたが店内は活気に溢れている。
親のすねをしゃぶりつくしていそうな若者が豪華なセットを食べていた。
ボクもまだまだ親に心配をかけているが、そういう若者とは違う、おじさんである。
デザートだけでも我が家にはとびっきりの贅沢である。
窮乏感だけとれば、我が家はおおよそ一般家庭ではないかも知れない。
娘は外食は贅沢だとわかりきっているようだ。
息子も「チョコパフェ」を前にして「・・最後の晩餐か?」みたいな神妙な顔をしていた。
それが本来だと思う。
外食とは贅沢である。
妻が作る食事は無論ありがたいが、片付けも一切ない、カネにものを言わせた娯楽である。
我が家はカップメンも贅沢である。だから、ごくたまに安売りで買うくらいで備蓄はない。
 
スーパーやホームセンターに「普段の買物」に行って絶句した。
カップメンは無論、トイレットペーパー、ティッシュ、オムツ・・・紙がほとんどないのだ。
オイルショックとは聞いていないが、どうやら同じ心境で群集心理なのだろう。
 
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老夫婦がトイレットペーパーを買いだめしていた。
12ロールを5つも6つもカートに入れて満足そうであった。
「すごい買いますね」というと『当たり前しょ!?』と怒り気味で言われた。
『こっちにも地震がきたら、まず生活必需品でしょ!』
なぜにそんなにケンカ腰なのかは判らない。
こうやって物資のあるところで買いだめなぞするから、肝心なトコでなくなるのではないか・・?
個々人が自重すれば、流通が復旧した後に、ただちに被災地に回せる物資も多いのではないか・・?
つい言ってしまう。
 
「もう、死ぬまで買わなくて済みますね」
 
老婦人は怒り心頭で、老翁が割ってはいる。
 
『どんなときだってトイレにはいかんきゃならんだろ!?』
 
こういうとき、あわわわ・・ごめんさい、と言えればいいのだが、ボクは多分頭がおかしんだろう。
 
「家がなくなったらトイレどこじゃないっしょ?」
「まぁ、家が「あれば」トイレもあるでしょうがねぇ」
「家がもったとしても、いつつぶれるかも知れない家で出るもの出ますかね?」
 
老夫婦は、後で見てろよ若造!みたいな顔をして別の「紙」売り場に去って行った。
どうやらキッチンタオルがどうのこうの、「オレがキッチンタオル!お前は・・」などとわめいている。
平和すぎて危険である。
 
ガソリンは急騰し、北海道ではおなじみの「モダ石油」にも長蛇ができていた。
灯油を混ぜて売っている、そういうデマが流されるほどにガソリンが安いからである。
実際にミスで灯油を混ぜて販売してしまい、最近まで営業停止、自粛していたお茶目なところである。
ボクは値上がりの前に思い切って満タンにした。
ご近所の「消防さんからのネタ」で慌てて入れたのである。
ご近所づきあいは大切である。
こういうときの便乗値上げはきつい。
中東情勢を理由にしているが、物流の断絶で今後も楽観的ではないだろう。
ガストではトラックの運ちゃんたちがうなだれて今後の相談らしきをしていた。
馴染みのアルバイトの兄さんが教えてくれる。
『トラックさんとか運送さんは、長距離が稼ぎですからね・・モノがあっても道がなきゃ厳しいです・・』
『流通は予想以上に厳しいです・・・うちも近いうちに営業停止すると思います・・』
新聞ですかいらーくグループの記事を見て、あぁ・・と思う。
情報を早く知っていたから何だというんだ、全く。ボクは何もできていないじゃないか。
 
ボーっとしていたらさっきの老夫婦が話かけてきた。
 
『あんたは何で、なんも買わんのよ!?』
 
「買うカネがないんですよ」
 
おじさんたちはコソコソと撤収して行った。
罵倒でもいいから、何か言葉が欲しかった。
貧乏ってミジメ?、いやボクは大好き。
 
レジで老夫婦がもめていた。
なんだか随分と買い込んだものについてもめているらしい。
あ、アレ・・かな?
 
 
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『キッチンタオルって言ったしょぉぉ!!??』
 
『キッチンペーパーって言えばいいべやぁぁ!!??』
 
キッチンペーパーがどうしても必要な家庭らしい。
ケンカするな!それはオムツの代わりにもなる!黙って買っておきなさい。
ソレも近いうちに必要になるだろう。
老人用のオムツは、ホントに必要なヒト、そして被災地用に残しておくのが筋だ。
 
旭川は早い雪解けが始まっている。
放置自転車が雪山から続々と姿を現す。
何とかならないもんか・・。
平和は、重要なことを他人事にし、分かち合うべきを我が物にするから危険だ。
 
娘は今朝、気持ちよく学校に行った。
息子はまだ寝ている。
有難いこと、この上ない。
ただ、この平穏は・・「誰かの犠牲」の上に均衡を保っている気がしてならない。