本屋のアダルトコーナー
本屋が閑散としている。
流通の停滞もあるだろうが、どうにも皆、気が滅入っているのであろう。
見たくもないのに何となく気がかりで、明日は我がことなのでテレビをつける。
そして、たくましさ溢れる被災者に勇気付けられ、翻って我が身の心細さに打ちひしがれるのであろう。
だからこそ本!?なのだと思うが、所詮は衣食住足りて、更に余裕があってのオマケ的意味合いが強い。
本で何かが変わるわけではないが、その「一文」が大きな契機や奇貨となることは多いだろう。
と、思っていたら「ニーチェの言葉」とか「名言集」ばかりが平積みしてあった。
名文句のマニュアルであろう。
こんなものが本になるのか・・。
PTA会長さんや、どうでもいい社長さんあたりが読んで『挨拶のお言葉』として拝借するのだろうか?
話すほうは良い面の皮で、聞かされるほうは迷惑である。
ニーチェは「神は死んだ」という言葉で語られる。
(画像は違いますが・・)
が、全員が神という超越意識そのものは否定していないだろう、とボクは思う。
ニーチェは、絶望と生への渇望という究極の選択を示して、
逆立ちしても神にはなれないのだから、ヒトとしてヒトを超える、
そう、耐え難きを耐えてこそヒトなのだ、そういう結論になった。
「超人」で表される。 ロックも筋肉マンも一切関係ない。
ハイデッガーは正直、死をおそれたオジサンであったと思う、
死はこわい!立場上そう言えなかったので「死を意識してこそヒトである」と結論した。
結論としては立派だが、神がチラチラでてきては無理に否定しているので、本人も苦しかったんだろう。
サルトルは、外見は芸人であるが、中身は天才学者である。
神を肯定しつつ、結局は無神論に位置されてしまった。
『オレは別にそんなに神だとかヒトだとか区別しないけどなぁ』、そんな本人のボヤキが聞こえそうである。
ドラッカー関連も多かった。
「もしドラ」のヒットにあやかろうという、3匹め以上の大量のドジョウ狙いである。
女子高生はドラッカーは読まない!が結論なのであるが、もし!がついているので何でもアリである。
女子高生は平凡でマヌケである・・そういうバカ男の前提があってヘドがでる。
アキバあたりでは、もうきっと「もしドラ」のフィギュアが売っていると思う。
もし新人OLがサムエルソンを読んだら・・
もしギャル短大生が親鸞を読んだら・・
最後はコロッケのネタだった。すまん。
「もしドラ」シリーズは主人公が女だから面白いのであろう。
女は「使えるかも」と考えてから行動までが早いし速い。
男のようにつまらんとこにプライドがないから、良いものはマネでも良い!のである。
さて、男の世界は「もし・・だったら」があまりネタにならない。
ご存知の通り、男の脳は下半身のあの粗品の中にある。
男が大きい小さいにこだわるのはもっともである。
脳の大きさや沽券に関わるのだ。
見せ掛けの頭の中は、自分をどう良く見せるか?どうすればもてるか?それだけである。
そして、肝心なトコは下半身で決定する。
女が『あなたはコレコレこういうとこが欠点で、私のこういうとこと根本から違う・・だから』と、
理論立てて説明しているのに、男は理解できない。いや、理解しようとしないのだ。
別れ話や重要な話においても、男は優位を取られた時点でもう話し合いドコじゃないのだ。
つまらんプライドがジャマして、ひたすら「どうやって女に謝らせるか」それだけを考えている。
そして、見越した女が『・・・ごめん』と言うと、すっかり切り替わって下半身が最終決断する。
『せめて一回やらせろ』 『最後に一回やらせろ』
こういうのには、呆れかえってひざが折れる。
そして、できたとして、男はチカラや甲斐性のお陰だと思っている。
バカ言え!面倒でうざいだけじゃ!
飲み屋の奥や、ホステスさんを隣にして、よくも、というような重要事項を決める。
仕方がない。
大脳は酒でとろけても、粗品の「真脳」はいっつもまともなのだ。
昼間から本屋のアダルトコーナーにいる男は幾分分別があると思う。
「隠れる何モノもない!オレはHなんだ!」と読んでいる。
正々堂々としているのに、本屋が気を使って「18禁コーナー」など作る。
青少年への有害性を配慮してのことだろうが、配慮するならど真ん中に「仕切りなし」で作ればいい。
『あのヒトあんなの読んで・・』
『彼女いないのかな・・いるわけないよね・・クスクス』
『キモ!やば!超やばくない・・?』
こういう当たり前の反応を、当たり前に受け取って
「あぁ恥ずかしいなぁ、何とかしないとなぁ」と、ふと頭をよぎる。
横を見るとファッション関連の本や、資格勉強の本、「イケメンへの10のルール」なんかが積んである。
これこそ本屋の目指すべき「順路」ではないのか、と思うのだ。
ボクは女性誌が好きで特にファッション誌をよく読む。
ananは読むが、昔で云うCANCAN、VIVI、JJ、Rayの類は広告が多くて読まない。
「装苑」とか「WWD」が大好きで読むのだが、どういうわけかアダルトゾーンの隣である。
そのコーナーは「H本を持って女性誌コーナーで読む」というカモフラージュな位置なのである。
「装苑」を探していると、同類?の男たちがソソクサと場所を空けてくれる。
ボクがファッション誌をめくっていると、どうにも居心地が悪い。
・ かっこつけないで一緒にHな本読もうぜぇ
・ こっちのアニメ系は萌え萌えで燃え燃えだぜぇ
・ コレはどうだい?最新フィギュアだよ、巨乳爆乳超乳だぜぇ
そういうお仲間意識がボクを取り巻く。
ええぃ!だから男って!!
そうやってシモネタを秘密基地みたいに扱って喜んでいるうちは残念賞ですよ。
もっとオープンに、もっと自由に・・と思えば思うほどむなしいのはなぜだ。
付き合いで、一冊めくって見た。高校生ぐらいの女の子がメイドのかっこうをしていた。
そしてやたらに毒舌なのだが、結局わずか数ページでその口を「真脳」でふさがれてしまう。
男が「勝った」らしいエンドであった。 ヤマなしオチなしイミなしである。
なめるな、ボクはウツ人だぞ。
筋金入りの(あ、シモだ・・)「上」狙いじゃ!
ストライクゾーンはすっごい高いぞ?
踏み台からジャンプしたって打つぞ。
そう、下は40、上は・・上は、70、いや、何だ・・その、そう!寿命までだ!
こう意気込んでみて、Hな度合いは、アダルトコーナーの彼らより上だと気付く・・。
変態・・その視点からならボクのほうがよりHかも知れない。いや確信する。