MelancholyDampirの日記

ウツな人の独り言

非常食

ゲテモノ食いだったらしい。
 
ボクの小さい頃は、日本はもう既に先進国で高所得国であった。
ボクの実家は中流でも結構いいほうだったと思う。
いや、ボクは「戸籍があって親がいる」ということが既に中流という基準なので表現に疑問は残る。
まぁ毎日毎日きちんと食卓には母親の手料理が並んだのである。
早い・安い・美味いのが条件であるが、母のソレは、早い安いは申し分なかった。
美味いかどうか、美味かったから食べたのであろうが、味わった記憶があまりない。
なにせ弟2人が、いつも腹を空かせた野良犬みたいで、空腹時は狂犬であったのだ。
夕方、方々の遊びから帰って自分たちの部屋でおとなしく・・できるはずがない。
ああ腹が減った、腹が減った・・呪文かお経のように唱える弟たち。
上の弟はお菓子を狙って失敗し、即席麺をバリバリかじっており、
横で下の弟が指をくわえて見ており、『ちょうだい』と言うと、10円だ!などと冷たく言われていた。
餓鬼道というのはこういう光景だろうと子供ながらに感じていた。
 
 
母親に言わせると夕食は戦争であったらしい。
人数分の皿にきちんと「ひとり分」配膳されてはいるが、いつのまにか国境は崩れ侵略の自由が生まれる。
母親がいくらたしなめても、ボクたちは噛んで食べなかった。
噛んでいる間に自分の取り分すら危ういのだ。
父親は衣食住に貧乏を極めたヒトなので、皿を死守して、顔すらあげなかった。
『このイヌ食い!』と母親が叱っていたが『ワオォーン♪』と吠えて反省の気配は皆無であった。
弱肉強食であった。
年長というのはたよりない根拠であり、ボクの皿も弟達に侵奪され、後にはタレだけが寂しく残った。
ソレを眺めていると、弟が皿をヒョイと取ってベロベロと舐めて、またぞろ母親に叱られていた。
お菓子や即席麺、パンやジュースの買い置きなど、備蓄するそばからなくなっていった。
弟2人はつまり、イナゴの大群だったのである。
 
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                         (画像はイメージです・・)
 
ボクは幼稚園や小学校から、父親から「食べられる草」を学んで育った。
別に父親が博学だったわけではない。 空腹には何にも代えがたいだけの知識であったのだろう。
山に入ると父親の目は輝く。
『アレはゼンマイだ!こっちはワラビだ!シダだってこいつはたべられる!』
ぼくはヨモギぐらいしか判らなかったが、父親と山に入ると腹いっぱいであった。
そして、ソレをうらやましがった弟が、においもきつい雑草を食べては吐いていた。
父親はキノコも良く知っており、良く判らないが『ニオイでわかるん!』と吐き捨てていた。
匂いをかいでくしゃみがとまらなくなると『こいつは・・いけん!』と手鼻をかんでいた。
良い思い出である。
 
ボクも小学校ぐらいからカエルやバッタ、コオロギからカマドウマ、ザリガニからコイ、フナ・・・グルメであった。
いつもわさび醤油を持ち歩いて、「やっぱカエルの肉にはこいつしか・・ねぇなぁ美味い!」
などと友達と盛り上がっていた。
貧乏な友人も多かったので、魚を天日に干して干物にして持ち歩いたりしていた。
ザリガニを釣る、という口実で大量のニボシを持ち出しては、
ニボシとザリガニで一杯やっていた(10円の粉のジュースである)。
給食の残り物などは宝物で、みんなで給食室のおばちゃんと仲良くなり
まだ10時だというのに「なんかある?」と裏から行ってはパンなどもらっていた。
パンも、屋上のさらに塔屋で天日で干してラスクみたいにして皆で持ち歩いていた。
「藻は有機体で川の水をキレイにします」とか「畑の土は栄養たっぷり」などと聞くと飛んで行った。
泥や土を食べては味わい、農薬でピリリときては吐いていた。
ドロや土も、甘い酸っぱいがあることを知った。
甘い土には良く作物が育って、ミミズも多かった。
(ミミズの調理法は・・・ココでは避けます)
ある日、友人が言った。
『あれは美味そうだよなぁ・・』
 
 
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ヘドロである。
青藻である。
におい強烈で梅雨時から夏は特に刺激的である。
ボクらは、迷わずに、素手にすくっては食べた。
「ん?あまいなぁ!?」
『甘い!甘いぞ!?』
・・・!?・・・!!
次の瞬間!!!!となってみんなで一斉に反吐を吐いた。
 
『ヘドを吐く泥だから、ヘドロなんじゃねーのかな?』
みんなで納得する。
そう、みんなしてとびっきりのオバカさんなのだ。
勉強家が『ハイドロと関係あるんじゃないかな?』と言ったが、多数決でヘドのドロで落ち着いた。
 
大きくなって、オシャレな店に行ったりするようになると、この悪食も困った。
 
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『こちらスズキのポワレ、なんとかちゃんちゃらクリームです』
『こちらなんとか牛のかんとか燻製でへらちゃらソースにどっこいクリームを添えてあります』
 
・・・判らん・・・・美味いかどうかも判らん。
食べられる・・ソレは判る・・・が美味いか?ソレもどのくらい美味いかが判らん・・。
ソースは甘いが酸っぱいのも多かった。
かといって「ヘドロのほうが甘いです」とは言えない。
こういう「食べ物一般」は、普通なら5段階ぐらいで表現はできるのだろう。
 
・ 美味、馥郁として清濁したコントラストとソースの深い混濁がすばらしい
・ 美味しい、また食べたい
・ ふつう
・ どちらかというと不味い、あるいは趣味じゃない
・ まずい
 
ボクにはこういうきちんとした基準がないのだ。
『お味はどうですか?』などとシェフに聞かれると困った。
「カエルよりは濃いと思います」などとほざいて、『ほぉ食通ですね』と逆効果を生じて困った。
ワインなんか腐ったブドウの味しか判らなかった。
白ワインは皮の味が少しする、が、赤は腐っている!腐りきっている!
そういって店のオーナー直々に追い出されたこともある。
 
ボクの舌オンチは父親の遺伝であると思う。
ボクと父親に共通する「味の基準5段階」というのがある。
 
・ 食べられる、うまい
・ 変な味もするがうまい
・ 腐っている、あるいは傷んでいるが、頑張れば美味しく食べられる
・ たべられる
・ たべられない(石とかクツとかも含む)
 
そう、ボクや父親には「ふつう」という基準がない。
食べられたら即座に「うまい」のである。
ボクは、うまい!!ばかりを連発するので不審がられるが、美味いものは美味いのだ。
父親は逆に「うまい」と滅多に口にしない。
食べられる、ということを噛み締めて、今日も下を向いて犬食いしていると思う。
最近は「待て」「おあずけ」をする犬畜生(失礼ワンチャンですか?)が多いと聞く。
贅沢になったもんだ。