HappyBirthday
娘の誕生日である。
この日は毎年落ち着いていたためしがない。
娘は数日前までひどい高熱と咳で寝込んでいた。
いや、優しくされるのをいいことに遊びほうけてゲロを吐いていた。
それでも今日に体調の帳尻を合わせてきた。
誕生日というものは等しくヒトを高揚させるものらしい。
(ある年齢から呪うようになるが、それでも「忘れられると寂しい日」ではある)
娘は、学校から帰ったら、と、さぞ楽しみにしているであろう。
娘には「貧乏の英才教育」をしている。
貧しいことを楽しみ、誇りに感じてもらうためだ。
無論、父であるボクのエゴであり、自分への罪悪感を美化・転嫁しているだけである。
これからプレゼントとケーキを・・と考えているのである。
問題がいくつかある。
・ 息子が風邪をもらってイヌのような咳が止まらない
・ 病院が急務である
・ 家賃の引き落としが迫っている
口座に入金しないと引き落とせない
・ カネがない
・ 妻は連日の看病で疲れきっている
・ ボクはかろうじて元気だが低血糖?でどうにもおかしい
・ プレゼントが決まっていない
・ カネがない
・ ケーキも決まっていない
・ カネがない
カネなどなくても生きていけるのだが、ソレは大人の屁理屈であり、子供に自覚させるものではない。
カネなどなくても心は錦!と常日頃言っているだけに、矛盾もはなはだしい。
娘はたまに「長靴(北海道では必須)の手入れ」を玄関でしている。
嬉しくなって話しかける。
「そうだね、モノはモノじゃないから大切にすれば答えてくれるよ」
娘は作業を続けながら言う。
『そうじゃなくってさ、うちには、お金が少しないから長持ちしてくれないと困るのさぁ』
目をむいて絶句。
貧乏、という言葉を避けて「お金が少しない」という表現に、アタタタタと連打される。
「ほんとに・・ごめんね」と言うと
『ちちは仕方ないよ』 とさらりと言った。
「仕方ない」・・・ホアタァ!!で卒倒である。
実家のじじばばが送ってくれた救援資金がある。
関東のほうが遥かに被害は大きいのに救援してもらってどうする。
いや、これで外食しよう。
そう思ったらみんな店が閉まっているらしい。
食材の流通停止の影響であるらしい。
娘が帰ってきたら、ひたすらに「踊って、つまらんギャグを連発」しよう。
すっごいくだらないのであるが、娘は大好きであるらしい。
娘は生まれて現在までガマンしか知らない。
欲しいものや食べたいものを聞いても、自然に「我が家の予算」を見抜いたモノを提示する。
ソレはヒトとしては賞賛すべき器量ではあるが、幼け(いたいけ)な少女の長所ではない。
娘が喜ぶこととはなんだ。
やっぱり家族の健康と笑顔であろう。
奇麗事ではなく、ソレしかないのだ。
誕生日おめでとう。
ここまで育ってくれてありがとう。
これからもずっと笑顔で居てください。
カネはちちが、法律に触れない範囲で何とかします。
・・・
先日、義理の母がハッピバースディ♪と歌っていて、途中で間違えた。
to you を「Do you」と歌っていたのである。
疑問形である。誕生日ですか?であり、Doですか?と聞いていたわけである。
あの時は笑ったが、誕生日が問いかけであるならば、アレは素晴らしい間違いであると思う。
幸せですか?などとは問わない・・・どうですか?大丈夫ですか?・・と。
被災地の子供たちに、等しく、毎年誕生日が訪れますように。
そして、子供たちの誕生日を祝う大人達が、いつもそばにいられますように。
友として、子供たちが、互いの誕生日を知り、そして心から祝い集える日が続きますように。
地震の日が、大切なヒトの命日として、誕生日をかき消しませんように。