MelancholyDampirの日記

ウツな人の独り言

星の王子様

もう百回ぐらい読んでいるから諳んじることが・・できない。
冒頭も怪しい。
「アフリカ(だかなんだか)の動物という本を読んでびっくりしたことがあります」
というような出だしである。
 
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こんな出だし、いつどうやって星の王子様なんだ、という疑問で読んだのが小学生低学年。
母親から失敬して、今は公然とボクの蔵書となっている。
あれから30年を軽く越えて、ボクも肥えた。
くだらない大人になれば、王子様は無理でも物語の弁者の「ボク」にはなれると思った。
毎年一回は読むが、どうしても星の王子様には会えないどころか近づけない。
作中の「ボク」はテグジュペリ本人であろうから、やっぱり深さと純粋さの次元が全く違うのであろう。
アントワーヌ=ジャン=バティスト=マリー=ロジェ・ド・サン=テグジュペリ・・・
早口言葉でもいじわる問題の部類である。
ゴータマ・シッ・ダルタの方が遥かに入門である。
 
「頭を冷やせ!」と、それこそ千回以上言われてきた。
ボクはアホの上にバカ・H・スケベ・変態・変人・ケチ・・と非常に長いマクラが付くので当然である。
『頭を冷やして来い!』と言われると、すーっと外に行って頭から水をかぶって帰ってくる。
『何のつもりだ!?』と聞かれると「頭を冷やしてきました。さて何でしょう?」と聞く。
相手は激昂するのであるが、こちらは本気で大真面目なのである。
頭から水をかぶって、それを拭いたり乾かしたりしている間に、難解な問題や漠然とした不安は大抵消える。
そして、相手の論点のズレや、自分の落ち度が視覚化結晶化され、
そもそも論争すべき話題じゃなかった、とか、向こうも悪いが謝ってしまおう、と達観した気になる。
見事に頭が冷えるのである。
今も「頭を冷やしてきた」ところである。
今時期は、まだ水をかぶったら危険である(外気温マイナス5℃)ので星を見てきた。
オリオンはかなり傾いてきたおり、北斗七星が頭上にあった。
端っこに妙な星も見えたが、北海道だから、星が多く見えるからと納得した。
見えない「○○星」など見たらラオウと戦わなければならず、勝つ気がしないし逃げられはずない。嫌だ。
 
星を見る余裕などない!のが、色んなとこで色んな意味で正直なトコであろうが、ソレは違う。
余裕が欲しいからこそ星を見るのだ。
花が好きだから花を見るのではないし、車が好きだから車を見るのではないと思う。
何か自分の人生そのものとは一見「関係のないもの」を見る、そこでふと気付く自分を感じるからこそ、
何となく見ることが大切だと思うのだ。
星を見たとこで、明日は何も変わらだろうし、今日と同じ星も明日もまた、絶対にないのである。
星の王子様は星を見て故郷を想った。
地球に来てから、とんとん成長してしまい、ソレがとても寂しいことだと感じたらしい。
星を見るだけのヒト、星を数えるだけのヒト、それを数えて所有するだけのヒト。
星を見るだけで、ヒトは表面の装丁を削られて、真っ正直な中身だけになってしまう。
子供の頃は、キレイだと思った。
子供を終る頃になって「あの星は今はないのかも知れない、なぜなら○光年の間に・・」と考えた。
「キレイ」だけでは格好悪くなったからであった。
弟が天体観測好きであったが、一笑し、格好悪い奴だと思うようになった。
格好悪いのは、星を見ることさえできないボクであったのだ。
 
何度か「星の王子様ブーム」があって、何度もそのブームは去った。
 
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その間に新版を加えるのであるが、本は数があれば良いと言うものではない。
まして星の王子様は、小説でもエッセイでもなく、そして決して童話ではない。
そういうくだらない分類や枠組みを越えたところに「名作」というものがあるのだろうが・・・けだし名作である。
名作は読み手を操らない。
ミステリーやSF、ホラーでも名作は読み手に任せる。
「意図」など存在しない。 
こう「してやろう」という実験や仕掛けは結構なのであるが、
読み手からすればエゴの押し付けであり気持ちのいいものではない。
本などいつでも手放せるのであるが、名作というものは、いつまでも読み手を離さないのだ。
 
・あなたなら、コノ部分をどういう気分なら読みますか?
・この部分は今はきついでしょうか?なら明日お待ちしてますよ?
・楽しく読めて良かったですね。昨年のようではなく。
・もっと早く出会いたかったですね、BOOKOFFでなく、本屋で・・。
 
時と場所、年齢によって、同じ歳でも一分一秒の気分で全く「読了」の感覚が異なるのだ。
名作は増えることはあれ減ることはない、だから毎年、名作の試験問題は新しくなるのだ。
 
テグジュペリ本人は戦争中の出撃で行方不明でありそれが1944年であった(かな?)。
(失礼、記憶が雑なのだ・・)
その乗機が発見されたのがつい最近2000年(か、もうちょっと後年)。
テグジュペリ機だと確証がとれたのがもっと最近で2008年。
こうなると「星の王子様」は作者本人であっただけか、と納得してしまう。
テグジュペリ機は「遺族の意向」を受けて回収されなかったらしい。
名作として飛び続けるのは作品だけではなかったのである。
 
こういうボクらしくない記事でも、
ボクとしては、寝転がったりして読んで欲しくないのである。
 
(失礼、星の王子様の中の一文である。)
 
寝転がったままで良いから、星を見て欲しい。
昼の星は見えない。
暗いからこそ星が見える。
ソレは当たり前のことではないはずだ。
何が言いたいかは、ウツ人なら気付くと思う。