MelancholyDampirの日記

ウツな人の独り言

モコと父親

モコが死んで3年ぐらい経つ。
モコは実家の父親が恋に落ちた「最後の女」である。
「最初の女」が母親であったらしいから、父親の生涯で恋はただの2回ということになる。
 
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20年ぐらい前にモコを迎えた経緯は簡単で複雑である。
父親は当時、保健行政に携わっており、花形の福祉や医療でなく予防保健に籍を置いていたらしい。
元々が生粋の技官であり、放射線を専門としていたから、行政には疎かった。
日々報道される放射能に対し専門家の軽率な扇動を危惧しており、過熱報道に嘆息している。
今一線を離れて隠居しており、父親としては不本意であろうが、息子のボクとしては不謹慎であるが有難い。
祖父に父親が似たのか、ボクが父親に似たのか、どうでもいいが、父親は女性に弱かった。
ある女性職員に同行して捨て犬などが収容される保健所(保護センター)に犬を見に行くことになったらしい。
保護センターといえども、要は犬猫にとっての地獄の1丁目であり、
最後のそこでも「可愛くない」動物には、残された未来は長くはないどころか短かった。
『可愛い子犬がいい』とか『血統書があればいい』とか、度し難いエゴによって犬猫は選別されていったらしい。
いつまでも子犬の犬は存在しえず、成犬になって貰い手が決まるケースもあったらしいが、ほぼ皆無らしい。
そもそも子犬の成長を待つほど行政には余裕はなく、飼い主のエゴに動物の生き死にが振り回されていた。
 
父親は独身時代に犬を飼っていたらしい。
関東とは名ばかりの田舎、それも田舎にバカにされる田舎に育った純朴な青年の親父であった。
ホームシックとはほぼ無縁の楽しい研究生活であったらしいが、それでも寂しさは埋めようもなく犬を飼った。
彼女などいるはずがない!とは父親の弁であるが、熱弁するほど偉いことではない。
母親との結婚条件が持ち家であったから、思い切って一戸建てを購入し、犬を連れて行ったらしい。
独身時代の父親の日記を、母親は爆笑で披露したことがあるが切ない内容であった。
『今日は小雨交じりの中、バス停に歩いていきました』
『帰って○(当時のイヌの名前)とチーカマを半分ずつ食べてそれをつまみにビールを飲みました』
同じ内容が続き、犬は父親にとって常に傍らで暮らしていたらしいことが判った。
『今日は小雨交じりの中、バス停まで少し早歩きで行きました』
『帰って、昨日のチーカマがまだ半分あったので、○に半分あげて食べました』
・・・・ぷっ・・クスクス・・・
チーカマが具体的に浮かび、ソレはきちんと減っていくのであった。
その犬も親父の体調不良とか諸々のやんごとなき事情で手放さざるを得なくなったらしい。
別れの日、母親(まだ母ではないが)はすっかり懐いた犬を抱いて泣き、父親の淡々とした態度を責めたらしい。
が、父親にはそうすることしかできなかったのであり、先に泣かれたら父親は泣けない。
何より父親は泣くことを知らないのであり、どこかで感情が空回るヒトではあったらしい。
 
そしてボクラが生まれ、長男のボクは18歳であった。
「モコ」を連れてくるにあたり、父親は思い切ったらしいが母親は反対した。
生き物は死ぬまできちんと面倒を見なければならない・・父親にソレができるのか・・。
『思いつきで連れてきては困る!』母親は正論をぶったが、父親の特質が似たボクには判る。
父親には正論など通じないのだ。思ったらやらないと気が済まないのだ。
下の弟は「子分が来る」と賛成したが、上の弟は犬嫌いであったため可もなく不可もなくという反応であった。
ほどなくモコが来た。
既に猫を飼って「アムロ」と名づけ、見事に失踪され「出戻り」にしてしまったボクにはどうも重い存在であった。
モコはケージから出された時点で、車に酔ってゲロゲロであり、ひどく臭かった。
それでも父親の命で「飼い犬道具一式」を揃えていたボクラは新しい家族を迎えた。
結構の出費だったと伝えると父親は言った。
『ただ、だと思ったら1,000円だった・・・消費税込みで1,050円。登録料は高いな!?』
もうだめだ、と思った。
子供の頃から見ているが、父親には生き物への愛情など感じられなかった。
よほど前の飼い犬が可愛かったのか、それともその別れが嫌だったのか・・とにかくモコは雑に育てられた。
犬小屋を買えば、『お前が10匹買えて、まだ足りないんだぞ!』ともったいぶって設置し、
予防接種や病気やなんやかんやで出費するたびに、維持費がすごいな・・とぼやいていた。
散歩やエサ、ほとんどをボクら兄弟や主に母親がやっており、母親の後半は多分モコとの格闘で始まった。
 
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『モコが死んだ・・死んじゃったよ・・』
 
3年ほど前に父親から聞いた声は明らかに正常さを逸していた。
母親から聞いたところによると、夜中に急に悲しい咆哮をし、何事かと思ったらもう遅かったのだと言う。
既に高齢(20歳近い)で、大病を何度も越えた奇跡の犬であったが加齢と寿命はいかんともしがたい。
ボクら息子たちの次々の巣立ちを淡々と見送り、父親はモコを溺愛していた、とは母親の推測であった。
長い父親の低空飛行の日々が始まった。好調ではなく低調でもない、でも元気でもない。
どうしたものか・・母親や周囲が心配する中で、父親の中の埋めきれぬ空白は亀裂となり、
それはここ数年になって病的な形で現実になった。
父親はリサイクルショップで50円以下の動物のぬいぐるみを買い漁りだしたのだった。
クマ、イヌ、ディズニー・・・もう、誤射乱射、粗製濫造まで一気に引き受けようという勢いであった。
高級なぬいぐるみには見向きもしなかった・・思えばモコは雑種であった・・
有名高名を父親は嫌ったのかもしれない。
実家はあっという間に「安いぬいぐるみの館」に成り果て、ヒトの居場所もなくなったらしかった。
母親は増え続けるぬいぐるみの山に少し呆れていたが、毎日毎日増えていくソレは異常な数になった。
何か動かせば山が崩れ、何も置けなくなり、片付ければそこにぬいぐるみの山がすぐに生まれる。
ぬいぐるみを見せないで欲しい・・母親は気分が悪くなるようになった。
ボクも少しだけ「見た」がアレが一部だとすると、全貌など考えると寒気がした、いや考えたくなかった。
 
父親は娘を夢見ていた。
子供ならどっちでもいいと言っていたがモコは犬であれ「娘」であったのだ。
毎年誕生日を祝って、仕事帰りにはいつもくしゃくしゃになってモコとじゃれている父親を何度となく見た。
息子達がいなくなった実家の中で、長く険しい仕事を定年という形で迎え、さぁ!というときにモコは逝った。
孫の誕生を父親は心から喜んだが、それを待っていたかのように数年後モコは逝った。
父親は「娘」の永い旅立ちを間近に見てしまったのだ。
ソレは他の何物でも埋められず、そして時間が解決するにしても長さと深さを要求した。
買うだけのぬいぐるみ、積むだけ、隠すだけのぬいぐるみ、
ソレは埋めきれないモコの空白に対する、父親なりの具体的な行動であったのだ。
 
最近になって、父親はやっとぬいぐるみを「手放す」ことにしているらしい。
『欲しがったら親戚とか近所の子供にあげるん・・』、そう父親は言っていた。
絶対に手放さなかったぬいぐるみ、どういう心境の変化かはおそらく誰も判らない。
50円以内のぬいぐるみは、最近は「別のモノ」になって返ってもくるようだ。
 
・(ぬいぐるみを)もらったお返しに「野菜」
・ぬいぐるみのおじさんだ、という近所の子供たち
・行きつけの古着屋のお兄さんが「コレ着てください」とシャツをくれた
 
『オヤジ、50円じゃ買えないもんばっかりだなぁ!良かったなぁ!?』とボクは茶化す。
特に古着屋から古着をもらう、など、ボクでもできない離れ業であり力技である。
ふと思うのだ。
モコの面倒を見たのは母親が一番で、後は・・・とにかく父親は下位ではないか。
でも、でも、モコは、決して父親に冷遇されたのではない、のではないか。
厚遇はされなかったかも知れないが、幸せ、いやそれ以上ではなかったのか。
保健所で死を待つ犬の中で、父親は「モコと目が合ってさぁ」とだけを理由にした。
ボクら兄弟が、何度懇願しても「犬など飼わない!」と云った父親の本心はどこにあったのか。
モコは千匹に1匹の特異体質であったという。
なぜとことんまで面倒を見たのか・・。
答えはモコが知っていると思う。
 
父親の寂しい晩年など、娘として、モコなりに見たくはなかったのであろう。
「ぬいぐるみ」を放棄したとき、ソレを別のものに換えたのはモコの仕業ではないか・・そうも思うのだ。
『あのお父さんは食意地が張っているから食べ物に・・・・』
そしてモコは、はたと気付いたのだ。
『あのお父さんに一番大切なのは・・・友達だった!』と、
だから、ぬいぐるみを今度は人脈なりに変えて、父親の人徳を更に高めようと躍起なのだ。
死んでまでご苦労なことだ。
 
モコ、「お父さん」は今度「新しい携帯」を買ったらしい。
無論、友達自体が居ないから、呼び出しもメールもない。
・・・いや、そこまではモコが考えるべきことではない。
父親がなんとかすべきことだ。
 
(記事中の犬は全てモコではない・・似た犬の画像である・・本人ではボクも辛いのだ)
 
父親が「娘」のことを心から笑えるようになるとき、良い意味で思い出になるとき。
そこが「ジジイ」として孫を溺愛する真のスタートになると思うのだ。