MelancholyDampirの日記

ウツな人の独り言

魔女ッ子とか

娘がプリキュアのファンになって久しい。
おじゃ魔女からの原作者であるから東堂いずみ女史は魔女っ娘長者である。
その前にセーラームーンがあって、こちらも原作者がポルシェと一緒に雑誌なんかを賑わせていた。
「億万長者の美人漫画家の私生活」とあった記憶がある。
ボクは赤いポルシェは、果たして購入と乗車にあたりシャアに断ったのか気になった。
そして「美人」の濫用が激しく、やはり今はバブルであるのだなぁと勝手に思っていた。
 
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娘の横で描いていて「おっかねぇ・・」と泣きそうになった↑絵である。
自分の劣等感とメンヘラーさんが一気に噴出した結果であり、目がやばいと痛感する。
・・・
美人を描くヒトはやはり劣等感のカタマリであって欲しい。
自分の劣等感をことごとく昇華させて、これでもか!と美少女や美少年を描いて欲しいと思うのだ。
絵もきれいだけど、作者もそこそこ美形というのでは、美を生み出す土壌としては養分の面で徹底さに欠ける。
セーラームーンの絵に限らず、好き嫌いが割れる絵というのは共通している。
「作者のナルシシズム」が透けているか否かである。
どこかで自惚れと自負を履き違えると人間はとんでもなくなる。
「引くよね・・」とか「アレだよね・・」と表現されて敬遠されるのだ。
ぶっちぎりで美男美女なら、何にもされない。出すぎた杭は誰にも打てないからだ。
少し届きそうな美男美女は、何かと叩かれ引き下ろされる。
昨今のIDOLを見ていると痛々しいほどである。
「その辺にいそうな「美」なら要らん!」という視聴者のホンネを見抜いているからこその演技が大変だろうと思う。
悪ぶってみたり、変人ぶってみたり、居丈高にふるまってみたり・・涙涙である。
「等身大」では叩かれて引き下ろされる・・が、引き下ろされたところで一般人にはなれない・・。
薬に手を出したり、ドサ回りばかりしていたり・・・本人たちには実は非などないと思う。
そう仕向けた、視聴者からのベクトルこそが問題である。
だからと云って「テレビを見るな」といってしまっては何のための芸能界か判らなくなる。
物事は二元論ほど単純ではない・・そういう狭間で苦しんでいるとは思うのだ。
 
脱線。
 
漫画家の中では美人、とか、医師としては美人、とか政治家としては美人とか、
あるユニットの中では美少女とか美少年とか、
条件付の美人や、限定された範囲の中での美少年なら要らんと思うのだ。
比較すべきがたくさんいて、その中で少なくともぶっちぎって上位3位ぐらいまでが「美」だと思う。
「美」というだけで誰もが「ははぁ!参りましたぁ!」
というのが美男なり美女なりのオーラであり条件であると思うのだ。
 
魔女っ子(あるいは娘)には「美」がくっついて回るが、余計であると思う。
魔法さえ強烈であるなら、見てくれなどはどうでもいいのである。
が、日本には「判官びいき」がある。
少し弱かったり、不完全であったりする方(個人や団体)に感情移入して、
アニメやマンガの中で共に主人公を演じるのである。
メグちゃんよりもノンちゃんが強かったが、魔法でも見かけでもメグちゃんが負けていたからそうなる。
ルンルンやチックルチーコ♪でも、やはり判官びいきの法則があるようである。
 
セーラームーンではぶっちぎり月野うさぎちゃんがその役を担い、美男の連れにもなるが負けた。
そう、水野亜美ちゃんである。
秀才はどこかで抜けている・・そういう男どもの間違った常識で虚像が拡大され、作品をも喰ったのである。
ボクはフィギュアをかじっていたので友人からだけ材料代+αで作っていたが、うさぎちゃんは不人気であった。
やはり金髪というのは劣等感が向かう先であって、擬似恋愛の対象にもならないようだ。
ロリータファッションでも姫ロリや甘ロリ辺りで金髪のウィッグが付いて回るが敬遠される。
不自然なのである。ヅラになってしまうのである。
だからアリスとかの柄モノや、ゴブランとかの総柄モノで流行を回していくしかない。
純白は必ず数シーズンに一度リリースされるが、着こなすのは難しいようだ。
真っ白なのは、横浜伊勢崎の波止場のメリーぐらい人生を踏まないと難しいのかも知れない。
つまり深く黒くならないと白が映えないのだ。
 
脱線。
 
プリキュアもハオートキャッチで「ムーンライト」が出たのを娘と見て「あぁ原点回帰だ」と思ったが違った。
ただのオマージュであるらしく、最初の2人からどんどん増えていく、ただのの雨後のタケノコ方式であった。
戦隊シリーズ仮面ライダーシリーズも最初から「増やすぞぉ!」という意気込みに溢れている。
レッドや主役ライダーは、のっけから助っ人を当てにしており、子供の視点からも心許ない。
本郷猛は変身前に朝飯前の運動、とばかりにショッカーを数人のしていた。・・時代を感じる。
ライダーはバイクに乗らずヒロインといちゃいちゃし、
レンジャーどもは強力すぎる合体後のロボットを恥とも思わない。
増やすのは画面の中だけにしてくれ・・と思うとオモチャも増える増える。
クリスマスに向けて、親やお年寄りは「一人で戦ってくれよ・・」と白旗を揚げざるを得ないのである。
 
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ボクは高橋留美子女史が大好きであるが、フィギュアには手を出さない。
「うちだっちゃ♪」という常夏ファッションの鬼娘のフィギュアを見ると吐き気がするからだ。
ボクは、おゆきちゃんとか弁天が作りたかったのだ・・。
だっちゃ娘を作るなら、まだジャリテンを作りたかった。
そう、原型から複製から、量産から・・彩色から・・とにかくだっちゃは勘弁してくれだっちゃ。
 
忘れた頃に「あかねちゃん」の依頼が来て???と思った。
ソレを断って以来、フィギュアは見るだけか、300円以内で買うだけにしている。
見事だ中国!中国万歳!である。
次はインドネシアあたりであろう。
秋葉原は震災どこ吹く風で人並みが絶えないと聞く。
当たり前である。
元々彼らは、リアルな世界には住んでいないのだ。
金銭感覚が違うので上客にはなるので友人としては最高である。
恋人にはギリギリ、結婚相手には難しいかもしれない。