MelancholyDampirの日記

ウツな人の独り言

味方と見方

どうも体調が良くない。
良くないと言っても、声が出にくいだけで、出ないということではない。
味がわかりづらいだけで、全く判らないということではない。
眠れない、あるいは眠った気がしないというだけで、眠っていることは間違いない。
身体が重いというだけで、全くどんなことをしても動けないというわけではない。
つまり、体調が「悪い」ことにはならないのである。
 
このブログをはじめた当時はとにかく心理的に極度のパニックであったらしい。
もう5年前になるが、攻撃的で批判的で、自分こそが正しい、賢い、という救いのなさであった。
暖かいコメントに殺気立ち、どうせ何も判らないくせに!と矛先をどこにでも向けた。
自分のことすら判らない自分に、他人が歩み寄ってくれる、そういう幸福すら受けきれず、重かったのである。
何をやっても達成感がなく、そしてその理由か反動か・・何もしなかったしできなかったのである。
何か食べなさい、と言われれば食べて、とにかく眠りなさい、といわれるまで眠らなかった。
食べなくても眠らなくても、大したことではないと思っていた。
死ぬのは自分だけであり、他には何の迷惑にもなるはずがない、そう信じていたのである。
髪型や服、見た目などは、爪が少し伸びているぐらい、気にならないことだった。
ヒゲも伸びて、髪型は何を言われてもなんとも思わなかった。
服はもう破れていようが臭おうが、裸でなければ何でも良かった。
(ボクは裸でも良かった。周りが許さなかっただけである・・)
今は、違う考えができるようになった。
自分が良いと思う、考えることは、家族を含め「他の人」が考える良いこととは歴然と差がある、
そう考えられるようになった。
そして、他の人が望む「どうして欲しいか」ということも少なからず判るようになった。
 
そして、他人の考えを含め、空気が読めるということは決して美徳ではないということにも気付いた。
ウツ人になる前から、雰囲気を読むのが上手い、タイミングが上手い、と言われた。
ソレはボクの長所であり、この先もボクを助けてくれると甘いことを考えていた。
しかし、ソレは美徳ではないのだ。
相手より先に「相手が言いたいこと」を言ってしまい、そして自分が謝るべきではないのに謝っていた。
ボクからすればそれが処世術であり自己防衛であったのだが、他人にとってソレは同じではないのだ。
「お前は頭がいい」、「お前は先が見えすぎる」、「お前ばかりが賢いとは限らない」・・
そういう言葉をボクはことごとく「褒め言葉」と勘違いして、多くを考えずに切り捨ててきたのである。
他人にとって、言いたいことは自分が言う、というのは当たり前の権利でありソレは常識である。
ボクはその権利すら奪い、「会話」というものを成立以前に壊してきたのである。
そして、やはりソレは長所と思って疑わなかった。
会話をなくし、味方をなくし、敵ばかりを増やして喜んでいた。
ボクは味方というものを信じていなかった。敵の方が扱いやすいと思っていた。
完全に「見方」が誤って、いや、狂いきっていたのだ。
長所のはずが、会話のアドバンテージを捕り続ける事で、自分をどんどん追い詰めていったのである。
 
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最近も会社との打ち合わせでやらかした。
上司や産業医は、ボクを何とか継続雇用しようと心を砕いてくれていた。
しかし・・
「ウツになった状況と原因をもっともっと自分で考えて再発しないために具体的に考えて教えて欲しい」
といわれると、ゾッとした。どうしてそんなことがいえるのか。
ボクは、原因は会社の人間関係であり、パワハラに近い「何も言えない暗黙の状況」こそが問題だ、
と繰り返し主張し、ソレを認めたのは会社であったのではないか。
見方を変えれば会社が言いたいことが判ることは判る・・
書類作成にあたり(ウツ人本人から)仕事の失敗を聞き出し、何としても「会社の責任」としないためだ。
ボクの中で何かが動き出した。そんなことを深く考えたら「ウツになりましょう」と同じことなのだ。
何故ウツになったか?何が自分を壊したか?ソレは行動はおろか考えることも危険なのだ。
毒蛇に襲われた恐怖を克服するため、もう一度毒蛇と会った洞窟に行くのと大差ない。
そして、もし毒蛇を見たときはパニックにならない、となぜ考えられるのか。
感じたくない底知れぬ不安の毎日がまた始まる危険すらあるのだ。
 
会話の中でボクの「長所」がでてしまった。
 
上司 : 『支社のなかで解決しないからと云って、本社に飛び越え報告するというのは筋が違う!』
     『支社は無能ばかりか?と本社に思われるかもしれないし、何よりお前のようなヒラが本社に何を相談し     ても「バカかコイツは?」と思われるだけだぞ?』
ボク : 「そして何より、ボクの上司は、部下に何を指導している?と監督の責を問われるかもしれませんね」
上司 : 『そこまで言っていないだろぉ!?』
産業医: 『そういうところが組織の人間として失格だと言っているの!まず上司に相談と報告でしょ?』
      『ひとりでは無理でも2人で3人で考えれば解決できることもあるでしょう?』
ボク : 「時間ばかりかかって、結論が出るのより先に「報告がきていない」と本社直々に叱責されたことが
      多すぎます。上司は担当者のせいにできる。しかし担当者は誰のせいにもできないのです」
産業医:『最後にひとつだけいい?何でも自分ができると思っていない?』
ボク : 「そう考えたことは一度もありません。あなたがそう思いたいだけではないでしょうか?」
 
上司も産業医も血相を変えてボクを問い詰めた。性格を変えろ!大人になれ!と。
そして、これもボクの悪癖であるが「厳しい状況が楽しくてヘラヘラしてしまう」というのが出て火に油であった。
打ち合わせは当初の目的を逸脱し、
こいつは根っからの奇人で精神は、もうどうにかしている、そういう結論になった。
 
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また味方をなくしたことになる。
そして見方を変えれば、まだ敵にはなっていない、謝罪すれば(相手を褒めれば)どうにでもなる、使える、
そういう度し難いプランがボクの中でできあがっていた。
ヒトは感情で動く。本心でぶつかれば必ず動くのである。
ボクにはそれができない・・きっと格好悪い、とか、それこそ子供だ、と思って軽蔑しているのであろう。
 
ブログの友人達にはたくさんの暖かい言葉をもらい、心からありがとう、といつも思う。
ボクからもコメントをしており、その内容に嘘偽りは全くない。
だが・・・ボクは何故、味方をなくす見方しかできないのか・・。
判った気でいる大馬鹿であることは、ボクが一番良く知っているのだ。
らしくないが、皆が、泣くより笑うことの方が多い毎日が送れるよう祈っている。
泣くことは良い(個人的にはうらやましい)、ただ悲しみが多いときこそ笑うことを忘れずにいて欲しいのだ。
今日は笑える記事ではなかったことを詫びたい。
 
さて、読書するか。
明後日までに図書館に返さないと、今度こそ怒られてしまう。