MelancholyDampirの日記

ウツな人の独り言

斬って勝らず

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昨日のひとこと記事に沢山のコメントをありがとうでした。
とても暖かい、まだ来ぬ春の微風のようでした。
ボクはコメントをこの場で返さないので、
冷めてるとか、他人事とか、斜に構えている、とか初期は良く言われた。
えーと・・その通りでございます。
コメントをアドリブで返す能力と勇気が・・その・・ないのである。
でもコメントのひとつひとつはじっくり読ませて頂いております。
一度で良いから「読みきれないほどのコメント」を、と夢見ることもある。
が、沢山のコメをもらったら、別の意味で夢を見てうなされそうな気もする。
気が弱いのである。
 
今日は会社に行ってきた。
『(辞めることも考えて)しっかりした文書を作ってきた方が良いぞ』とのことだったので、
「定年まで勤めさせていただくことで職責を深く自覚したい」と書いておいて、
「私は雄弁ではないので、対話する能力を引き出して欲しい」とヨイショし、
更に「職場の皆さんの協力を得てプラス思考になるように努力いたします」と締めた。
 
上司も産業医も??なんじゃコレ?という感じであった。
何度も読んでアラを探し突っ込みまくってくる。
辞める、とはどこにも書いていないので、別のほうから圧をかけるしかないからだ。
 
『対話できないとは、つまり人間関係が作れないのか?』
『友人とかいないの?それは社会人としてどうなの?』
『最初の配属先ではどうだったの?』
『具体的に「こういうヒト」が苦手というのはないの?』
『それは誰?』
 
抱腹絶倒であるが、抱腹するわけにもいかない。
『それは誰?』と聞くヒトは、自分がそこに入っているとは考えないものだなぁ。
ボクはどちらかというと、黙っていればいいのに・・と言われるほどの、余計なひとこと野郎である。
友人がいないのは、生まれ育った土地を離れて北海道に移住したからである。
友人はいる・・無論少ない。
が、友人は多ければ良いという者でもない、気がする。
浅く広く・・はボクの得意とするところであるが、ウツ人になって以来、とんと交友は減った。
向こうから不通になったのである。
が、ココ一番苦しい・・・というときに連絡をくれる友人は3人くらい居る。
幸せなことこの上ない。
 
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更にウツ人になって、ものの見方が柔らかくなった気はする。
いつかこのブログも更新できなくなる時が来るであろうが、それは近い将来ではない。
ブログに来る心友たちが、とにかく全く愛しいのである。
稀有なことにココには善人しか来ない。
悪人ぶっている方も居るが、自分を皮肉れるのは、根がどこまでも暖かいからだ。
このヒトは悪人だ!とはまず考えなくなった。
根っからの悪人がいるとすれば、それは紛うことなく「ボク」であるからだ。
もちろん、全員が善人であるとは思わない。
ただ、ことの初めから「こいつは絶対にろくな奴ではない!」とは思わないようにしている。
きっと向こうも同じに考えるからだ。
対話とは、真っ向からの舌鋒の競いあいから始まることも多い。
しかし、斬りつけ合ってばかりでは、刀が折れ、肉は削げ落ち、血がなくなる・・失せてしまう。
責めることと攻めることは大抵同じであり、逃げることと守ることも大抵同じである。
が、「話しあえば全て判る」とも思わない。
相手が全く自分と同じ人間ではないからだ。
ただ、心の闇とか、揺れ動く感情とか、霧の深い不安とか、
そういうものを通して、共有できる何かはきっとあるのだ。
 
どうも、らしくないことを書いている。
 
以前から、連休の中でわざわざ会社に来ることもない・・・と上司は言っていた。
今日言われた。
『お前さ、ゴールデンウィークの途中さ、2日にまた来いや?』
どうにも諦める気はないらしい。
バッサリと切り捨てなければ何だか気持ちが良くないのであろう。
 
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また暫くは、会社という組織を人格化した「上司たち」なる偉い方々と対話するしかなさそうだ。
ボクは剣を抜く気はない。
一度抜かれた剣は、そう簡単には戻せないからだ。
ヒトは傷つけたくない・・社会に生きるものとしては究極に甘いと思う。
甘くていいではないか。
ボクにはボクの、皆には皆の歩幅があり間合いがある。
トラはその巨体と力で闘うが、ネコはそうはしない。
同じ種族でも、異なる闘い方があるはずだ。
そして闘い方は、いつか変わると信じる。
傷つき、傷つけるばかりでは、痛みしか判らない。
 
痛みを越えた向こうに何があるのか・・ウツ人ならみんな知っている。