家族とは
ボクには両親がいて兄弟がいる。
それは幼いころ当たり前であった。
大人の階段を昇るにつれ、それが当たり前ではないと心底気づく。
周囲には親がいないとか見たことないとか、そういう友人も多かった。
親というものは子供を邪魔者にし、何も与えずに、奪い、そして捨てる。
そういう「常識」を友人たちは刷り込もうとしたがボクは受け入れ切れなかった。
親と外食に行ったといえば『近いうちに死によるぜ』と言われ、
親戚で集まったと言えば『あぁ里子に出されるんだわ』と言われた。
根拠もないが、幸福でない家庭の説得力のある言葉に、不安を募らせていた。
親を信じるなよ、親に期待するなよ、自立しないと死ぬぞ・・・。
鬼のような親の虚像が形成され、それは拡大して更なる不安を呼んだ。
無論、全ては杞憂に終わった。
常に両親はボクを含めた子供たちを案じてくれたし愛してくれた。
どんなに子供が否定しようとも「親」というものはそれを認めない。
認めないのではない。
正確には「否定も含めて全て肯定する」という感情を持つのである。
これも正確には「持つ」のではない。
親になった時点で、本人の知らないところで萌芽し醸成されていくのだ。
ウツに限らず精神を病むと、周囲から去っていく知人友人、親戚は多い。
親兄弟からも見捨てられた・・そういう話も残念ながら少なくない。
ボクは幸福であっただけである。
ボクが幸福であると思うだけで、親や兄弟、親戚が幸福かどうかは別である。
かつて、ウツに絡むように様々な症状が発現し、ボクは常軌を遥かに逸した。
両親は眠れなくなり、兄弟は困惑し、奔走した。
ボクのあの時代がいつか笑い話になるとは思ってもいない。
忘れてもらえるとも思っていない。
何よりボクが忘れられないのだ。
親や兄弟のボクへの信頼を、ボクは不信という行動で裏切り続けてきた。
親は言った。なぜウソをつく?
兄弟は言った。何で本音を言わない?
ボクは自分の心がすさんでいるのを恐れていたし、
それを知られることをもっと恐れていた。
それすらも、きっと両親は知って、許容する以前に許してくれていたのだと思う。
兄弟というものも同じである。
ボクは弟たちを心配しているが、弟たちはボクこそが心配であろうと思うのだ。
どんなに兄や姉が、弟が妹が立派な人間であろうと、いつまでも心配なのである。
弟は、ひとりは、居を構え三高ならず四も五も手に入れ上を目指している。
ひとりは、家族を養い、大きな店をを任され、寝る間もない。
そういう兄弟から「兄、大丈夫か?」といわれると返す術がない。
ボクが心配しているのは「小さいころのままの弟たち」であり、
弟たちが心配しているのは「大人としての具体的な兄」である。
その圧倒的な認識の差にボクはいつも絶句し、狼狽して言葉をなくすのである。
ボクの「大丈夫だ」と、弟たちの「大丈夫か」には質的にも量的にも差がある。
生きている、それだけでは如何ともしがたい社会というものを生きている差である。
ボクは会社をはじめ社会全体への不平屋でしかない。
弟たちは、そういうことを踏まえ乗り越えた上でボクを慮る。
なんとも立場がないではないか。
両親の了見は更に上位に位置している。
「いくつになっても子供が心配」と公言してはばからない。
子供に子供ができて、更にその子供が生まれても、親は子を心配する。
そういうもんだ、と世の親たちは軽く笑い飛ばす。
それは当たり前ではないはずなのだ。
母親がかつて「いい詩があった」とテレビの上に立てていた。
母親というのは無欲なものです
子供が偉くなることより 健康でいてくれることを望みます
子供が金持ちかどうかより 空腹でないかが気になります
だから
母親を泣かせることは この世で一番いけないことなのです
母親は『お母さんは偉い!』と胸を張り、実際には胸より腹が出ていた。
(葉祥明 氏の詩であったと思うが記憶にある内容は大雑把である。)
ボクは母はおろか妻も子供も泣かせてきた。
このままではいかん・・。
そう思ってはいるが、思っていても何も伝わらない。
何か、何か、しなければ。
そう思うとふと娘や息子たちが浮かぶのだ。
ボクは娘に勉強とかそういうことを言えない。
笑顔で、何か食べていれば安心してしまうのだ。
息子を厳しい言葉で叱れない。
やはり、笑顔で、何か食べていれば安心してしまうのだ。
両親や兄弟も・・もしかしたら同じなのかも知れない。
生きているだけ、そして笑っていれば「ボク」は存在しているのかも知れない。