MelancholyDampirの日記

ウツな人の独り言

自転車の思い出、教えて!

ヤホーのお題。
 
子供の頃から古いモノが好きであったが自転車は小学校で新しくなった。
ボクは小さい頃から、小さい中でもびぬけて背が低かったので、子供チャリ歴が長かった。
ご近所の幼馴染がスポーツタイプに乗り換える中、ひとりで18インチくらいで頑張っていた。
折りしも「5とか6」がチヤホヤされた時代で、筆箱も丁寧に6面まであった。
 
イメージ 2
 
金持ちの友人に見せびらかされて、結構欲しくてたまらなかった。
が、飛び出す定規とか、飛び出す鉛筆削りとか、マグネット装備とか、どうも実用性は低かった。
算数の時間に「定規を出してください」と先生が言うと、
『オレは筆箱についているんだ!』と友人は鼻息荒くしていたが、
筆箱から外れない10センチ未満の定規は実際使えなかったらしい。
みんな「30センチ竹製ものさし」をランドセルから飛び出させていたのが普通であったから長さが勝負である。
音楽が一緒にあると、フエも同時にはみ出しており、前屈みになったときの定規紛失率は高かった。
「100センチ」を持ってきて自慢していた者もいたが、
使うたびに周囲のモノを倒し、女子の目に入るなど、不評甚だしかった。
洋裁をしているお母さんから「ぱちくって」持ってくるものもいたが、洋裁用の妙な目盛りに苦しんでいた。
 
で自転車。
レトロであった。
 
イメージ 1
 
こんなにレトロではない。
これは英国で「下りるのに階段が要る」という、まさに貴族の自転車。
サドルの調節もできず、脚が長い英国人こそが乗りこなせた代物であろう。
ボクが乗ったら・・と思うとゾットする。
股間を犠牲にしてまでも乗りたくない。
 
ボクは5段変速という自転車に乗っていた。
今でこそ3段と6段で18段という恐るべきママチャリが主流であり、ギアの変速は手元である。
ボクの頃はサドルとハンドルの中間地点に「変速レバー」があり、習熟に時間を要した。
 
イメージ 3
 
視線を一度ギアに落とし、前方の安全確認を犠牲にしないと正確なチェンジは難しかった。
『最高6段まであるぜ!』と豪語した友人は、ギアチェンジに手間取り「ドブ」に突っ込んでいった。
『オレのはカウンタックだぜ!』と言った友人の自転車は前方2箇所のライトにカバーがあり、
手動でカバーが開く!という、よく判らないけど格好いい!代物であった。
この友人も夕方の薄暮時にライト操作に手間取り「同じドブ」と友達になった。
ボクは友人達に追いつき追い越せ、と息巻いてるうちにパンクしたり、ギアが不調になったり苦労した。
なんでもそうだが「ハイテクは故障に弱い」のである。
「業界最先端!」と謳ったハイテク製品は今や主流である。
が、枝でもなんでも、先端こそは折れやすいのである。
だからボクは古いものが好きであるのだ。
 
5段変速の修理ができなくなり「足」を失ったボクに父親は言った。
『オレが乗ってた、すげぇ自転車があるん!』
なんだか嫌な予感がしたが、父親が倉庫から持ってくるのを待った。
自動車のようなメタリックブルーのボディにやはり「いぶし銀」のハンドルを持ったソレは格好よかった。
「お父さん!コレ乗っていいの!?」
「すっごいじゃん!?ハンドルってこんなアルミ箔みたいな銀なの?」
 
『あ・・ソレな、錆びちゃってオレが塗ったん。』
 
にわか修理か。
 
でも嬉しかった。
近所を走っていると、ワルガキどもに鼻で笑われた。
「なにソレ?チャリ?どこのブランド?」
みんなガヤガヤと、オレはブリジストンだ!オレなんか外国の!と自慢していた。
ボクの自転車を見た。
ナチョナル!とでっかく書いてあった。
『おい、ナショナルって蛍光灯だろ!?』と高笑いされる。
ギアらしきものは特になく、こぎだしてスピードに乗るのが難しかった。
そして止まるときになってブレーキの効きがすごく悪いことに気付く。
にわか修理か。
 
靴底がなくなる寸前に何とか止まり、みんなで薄暗い中を帰っていった。
「暗いな、ライトアップだべ?」
『走れば走るだけ明るくなるからな!?』
背の低いボクはヒーヒーいいながらライトのスイッチ?を足で押した。
カウンタックライト」の友人はまた点かず、ドブを恐れながらゆっくり走っていた。
6段の彼は、2.3.4.5.6段が壊れており、「クラリネット壊れちゃった」自転車版であった。
ボクのライトだけが前方を照らした。
スピードも出ていないのに、虫が集まって危ないほど明るいライトであり心強かった。
ナショナルにウソ偽りはなかったのである。
 
ナショナルくんは何度か大怪我をしたが大手術に耐え、天寿を全うした。
まっとうどころか、使える状態で隠居し、後進を次のママチャリに託しての引退であった。
ボクはオシャレなママチャリが欲しくて買ったからである。
近所のスーパーで展示品を値切って買った。
そういうセコイ了見であるから、オシャレかどうかも怪しく、オシャレだ!と、もてることもなかった。
高校の頃に近所のスーパーで買ったソレは今も実家で「現役」であるらしい。
ボクもパンク修理とそのたもろもろを直して乗っていたので持ちが違うのだ。
父親がメンテナンスをして大切に乗っているらしい。
理由は「タフでゴミ捨てに便利」とのこと。
自転車自体がポイ捨ての対象になる今のご時世。
有難い話ではある。
残念なのは、その自転車で父親が「新たなゴミ」を拾ってカゴに載せ持ち帰ることだ、と母親が話していた。