MelancholyDampirの日記

ウツな人の独り言

幼年期の終わり

実は仕事を再開している。
当分フル勤務の許可は出ない。
もしかしたら「許可はずっと出さない」のが会社の方針かもしれない。
今までの圧迫面接の経緯を想起しても、あまり旗色がいいとはいえない。
むしろ悪いのであろう。
以下の空気は全く変わらない。
 
・ ウツ人は排除すべきという前提
・ 無言の圧迫
・ ミスをいつまでも言われる
・ 「おかしいヒト」として扱う
・ 「いないヒト」として扱う
・ 何か言いたくても言わせないという空気
・ 結局お前が全て悪い、という風に持っていく空気
 
こういうのが度を越すとパワハラになるが、ボクは思うのだ。
パワハラというのは、自分の心が創りだす幻想ではないのか・・と。
これには非難がありそうだ。
明らかに形を伴ったパワハラというのは厳然として存在するし、
ソレが多くのウツ人を生み、そして殺してきた。
コレには反論する気もなく、むしろパワハラは憎んでさえいる。
闘って自らをすり減らすか、命を大切にして身を引くかしかない。
そういう状況に追い込んでいる、という事実を多くの会社は隠蔽し、
ソレはお前の性格が原因であり、社会人として不適格なのだ!と切り捨ててきた。
これからも、こういう風潮は残念だが変わらない。
 
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そこを突破していくのが幼年期の終わりであると思うのだ。
幼年期とは、不平や不満を周囲にぶつけるばかりで、自らを省みない「権利だけ」の時代である。
子供がまさにそうであり、その気質が大人になっても変わらないと「大人になれ」といわれる。
ボクの考える「大人」というのは少し違うようだ。
ウツ人として生きている以上、ウツ人ではない「大多数の側」に立ってモノは言えない。
ウツ人は病気であり個性ではあるが、決して社会から排除されるべき毒物ではないのだ。
ウツ人とは、他人の痛みに対し敏感であり、それは自分が痛みを知り過ぎているからである。
「大人」のように、感情のままに相手を傷つけおとしめてまで優位を勝ち取ろうとはしないのである。
ボクは無責任な大人にはなりたくないし、なった憶えはない。
自分さえよければいい・・ソレは生きるための究極の処世訓であろうが、ウツ人には似つかわしくない。
アレもコレも、と気を回し、最後には自分のしたいことが最後に残ってしまって、諦める、ソレがウツ人である。
ボクはその足場から見る光景と歩幅を大事にしたい。
ボクには幼年期の終わりなどないのかも知れない。
それでいいのだ。
 
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ココに来てくれる多くのヒトが、優しく慈愛に満ちた人たちであることをボクは身をもって知っている。
「大多数の側」の論法に傷つき汗し、身を削った痛みは、何年経っても風化するものではない。
心のささくれに対し「とりあえずセロテープでも貼っとけ!」という乱暴さを、ボクは理解できない。
理解する気もない。
今日は会社で「新型うつ病」についてレクチャーがあった。
自分の好むところはするが、反するとウツになる都合の良い病気で、30代までの若手社員に多い。
そういう説明を読んで、あぁ・・と嘆息した。
会社は「どう思う?」と言い、「お前はコレだ!」と顔に書いてあった。
そうやって、ウツは病気ではなく詐病だ!というスタンスを採る限り、
あたらしいウツ病の見解はことごとく「都合よく」歪曲されていくのだ。
そして、またウツ人が倒れ、踏みつけられていく・・。
許さない。
ボクには残念だが圧力は効かない。
真綿で首を絞めて殺そうとしても、ウツ人は死なないのだ。
押しても押しても倒れなかったボクに対しては、会社はもっと具体策を講じないとダメだ。
無論、そんな策などこちらからぶっ壊してやるが・・。
今は機が熟すのを待つしかない。
言われるがまま・・風の吹くまま・・「あいつは変人だ」・・そういう空気がそのうち心地よくなるだろう。
 
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タバコをやめろ!と上司が言った・・気がする。
幼年期は母乳を不要とするところからはじまる。
タバコという乳首を吸いながら言われて、納得できるものではない。
オレは大人だ!と言う大人はいないのだ。