前田敦子さんとは
今は雨であり寒い。
午前中は肌寒くストーブをつけた。
北海道は日本とは違うんだなぁ、とつくづく思う。
東京あたりは、きっと、梅雨でジメジメか、夏日であぁ暑いぞ、エアコンガンガンつけたいぞ、
いや節電か・・・くたばれ東電・・であろうから、違うな首都圏は。
暑いといえばAKBである。
今日から急速にブレイクした「もしドラ」が映画化し公開であるらしい。
そしてAKBの誇る前田敦子さんが主演らしい。
史上最高売り上げの仮面ライダー電王のシリーズは、ライダーの枠を越え「ジャンル」となった。
関連商品はいまだに売れ続け、以降のライダーは「電王」とのコラボで食いつないでいる。
佐藤さんはあらゆる番組からオファーを受け、さぁ稼ぐぞ!と事務所も腹をくくった。
ハイチュウで本物の秋田こまちである佐々木希さんと共演し国民的認知を勝ち取った。
そこへきて「Q10」で失速したらしい。
アクセル全開で6速に入れたばかりのスポーツカーを「自然に失速させる」とは大したものだ。
前田敦子さん恐るべし。
「もしドラ」も何かやれば確実に大ヒット、という代物である。
競馬であれば、下馬評でも2倍を切る、つまらないガチガチ馬券である。
ソレが失速したら・・・と思うと、もう伝説である。
「火消しの前田」というキャッチフレーズすら浮かぶ。
いち早く原発の現場に行けば成功したかもしれない。
いやいや、ボクはAKBが好きである。
ソレも個人では板野さんのCDを一枚買ったぐらいの、どうでもいいファンである。
AKBが画面に出ていれば安心なのである。
一山でまとめて売れていれば、それで良いのである。
が、総選挙で、やれ前田さんが一位とかは気になるのである。
菅内閣への不信任案が否決されたが、おそらく「総選挙」での認知度が低いとした政治的判断であろう。
今、衆議院が解散してもどうでもいいが、AKBが総選挙をしなかったら大変なのである。
AKBとはシステムである。
アイドルとそのファンは「距離と間合い」があって成立する。
個人への接触はまぁ無理であろうから「距離」は成立している。
次にアイドルへひきつけて追従させる「間合い」であるが、これも成立している。
昭和のアイドルは間合いが遠すぎた。
「どこで何をすればアイドルへ利益になるか」ファンは皆目判らなかったのである。
だから、何となくレコードを買ったりしたり、テレビの前で奇声を発するくらいしかなかった。
ファンクラブも「カネだけとられてどうも胡散臭い代物」であり、間合いばかり広がる痛痒を感じたはずである。
AKBはシステムである。
距離は一定に、ハウトゥ間合いの詰め方、つまりアイドルへの具体的な貢献度を示したのである。
CDの売り上げが即、全体や個人への貢献になり、結果は総選挙にフィードバックされる。
「総選挙なんてやらせだろう」という偏見は払拭できないが、
衆議院総選挙のやらせと比べたら、その偏見の度合いは雲泥であろう。
ファンは特定の個人に投資し、投資の分だけアイドル個人は露出が増える。
AKB全体の中での順位が目に見えて変化する、そういう相対化が差別を意識させ、競争と狂騒を生む。
そして、全ての投資も競争も「AKBシステムの中」で完結するのである。
どんなに「前田は可愛くない、顔が中心に寄っているだけのブサイクだ」と論じてもシステム内のことである。
AKBの他のメンバーを応援し、前田さんを意識し相対化している時点で、システムに組み込まれている。
どんなにカネを使っても、内部で根回ししても効果は変わらない。
結局はAKB=アキハバラバンクという銀行に預金しており、それは降ろせない。
総選挙が熱ければ熱いほど、カネは廻る。
ただし、AKBシステムの中だけでカネが廻る。
良くできている。
「もし昭和のプロデューサーがAKBシステムを知ったら」・・・。
別に何も起こらない。
先手必勝のシステムである。
将棋に似て後手の方は「先手の手に合わせて動くしかない」からである。
「もし衆議院総選挙をAKBシステムにしたら」・・・。
誰も投票にいかない。
それ以前に、システムとして成り立たないかもしれない。
民主でも自民でも、誰がどうでも同じだから興味がない、のであろうから・・。
特定の政党や議員に何ら魅力がないのだから、支持や投資の対象にもならないのである。
前田敦子さんとは、AKBシステムを、現在、最も上手く活用し最も効果を挙げた、そういうヒトである。
「萌え」とか「ヲタ」という特定にジャンルに固執しないことで特化は避けた。
が、最大公約数(誰もが「好ましい」と思う人間像)という最も難しいところに、最もスペースを占めた才人である。
どうもAKBというシステムを、誰も非難できないようだ。
非難している時点でシステムに組み込まれている。
アイドル個人はもっとも難しく、もっとも忌避される生き方を貫いている。
「みんなから気に入られよう&自分らしく生きよう」
コレは誰もが目指す理想だが、相対的にも現実的にも無理な理想であり定理である。
その理想を若い女性が貫く。
いやはや脱帽である。