遠足とおやつ
限られた予算の中での最高の買物は難しい。
欲しいモノは高く、買えるものはがっさい(ちゃちい)。
食べたいものは高く、買えるものはモノはまぁ食べられるか、不味い。
乗りたい車は値段のゼロが多く、乗れる車は命を預けるのに不安な趣(おもむき)。
遠足のおやつは、そういった意味で古くから難題であった。
「200円まで」とか「300円まで」といった厳しい予算のしばりに苦しみながら最高のモノを選ぶのだ。
駄菓子屋で買物をしながら、5円やそこらの足が出て、また一から選びなおす。
いかに計算の基礎・足し算が大切であったかを痛感するのである。
ボクの頃はおやつは200円であった。
はじめは、よっちゃんいかとか10円チョコとか30円のカツのニセモノをセコセコ買って計算していた。
消費税がない古き良き貧しき時代であったので端数と繰り上がりにには大して気を使わなくて済んだ。
そのうちに「200円じゃ少ない」とすぐに生意気になり、悪友と少ない智恵を絞った。
・ 仏壇のバナナ(計算には入らない)を持ってくる
・ 「当たりくじ」に全てをかけて、200円全額を当たり付きチョコに投資する
・ こっそりと弁当箱に菓子を詰め込んでいく
・ 5人で1,000円にして、駄菓子屋のおばちゃんと交渉して七掛けで買う
バナナはポピュラーなやり方で、先生もその辺は目を瞑っていた。
金持ちの地主の息子がエスカレートして「文明堂カステラ5本」を持ってきたあたりで指導が入った。
中元や歳暮の残り、もしくはその家の地位などに基づく貢ぎ物の菓子は「子供らしくない」と却下された。
「当たりくじ」はすぐに廃れた。
10円のチョコを20個買って10個当てた猛者がいたが、好天の下でチョコばかりはつまらなかったらしい。
弁当箱に菓子を詰め込んだ奴は、大方の予想通り昼食としての弁当を忘れ、森の中で低血糖になった。
大勝ちしたチョコ野郎から「当たったけど要らないチョコ」をもらって窮地を脱した。
「業者のように買う」というのは当時はかなりかっこいい買い方で頭が良さそうに思ったが、
子供だから大目に見ていたおばちゃんも、一万単位で「注文」が入りだすと困ったらしい。
生活がかかっているため、利益の面からも教育的見地からも学校に苦情を申し立て、校長が憤慨した。
今日は娘が遠足であったのだ。
昼頃に局地的大雨で心配したが、娘は晴れ女なので、少しあたっただけで難を逃れたらしい。
同じ頃にボクは「少しだけ外で仕事」をしており、まんまと局地的にあたった。
娘はおやつをたんまりと持って行った。
おやつを一緒に選んだのだが、どうも盛り上がらなかった。
「予算制限はなし・食べられるだけ」というのが最近の学校の姿勢であるらしい。
ソレを娘から聞いたボクは、オマケ付きお菓子とか「チョコ大袋」とか高価なキノコの山とかを奨めた。
娘は一蹴。
『そんなに食べられないしょ?』
ボクの娘のクセに良識家である。
ボクの挙動を見ているから常識人であるのか。
予算制限があった頃は燃えた。
遠足など「オヤツのオマケ」であった。
ボクは200円のうちの大半を「プラモデルの付いたビッグワンガム」で費消し、
残りは駄菓子とバナナであったが、達成感とイタズラ心は双方とも充足できた。
遠足のオヤツには、そういう燃え方や萌え方があった。
今は予算制限がないが、子供たちの中にしっかりと「自制」という制限があるらしい。
子供はお菓子に命をかける!というのは古いの考えかもしれない。
駄菓子も税抜きの切りの悪い味気ない値段でつまらない並べ方であった。
寂しい気もする。
子供はいつもお菓子を欲しがり、歯磨きを嫌がり、虫歯で泣けばいいのだ。