MelancholyDampirの日記

ウツな人の独り言

ニーチェの言葉

本屋には良く行く。
多分、本屋でバイトしている学生よりも行く。
売れ筋はまったく詳しくないが、いい加減、平積みや似た本が増えてくると流行ぐらい?は判る。
ニーチェ本」が少し流行っているらしい。
なるほど、最近(昨年あたりから)「HOW TO よりよく生きる」が減ったわけだ。
成功したひとの、成功したひとによる、もっと成功したい人のための本は飽きられたわけか。
合点はいく。
「年収1千万稼ぐ人の整理術」なんか読んでも参考にはならないのだ。
○千万稼ぐ人は、人脈を整理したり、時間を節約する必要があるから整理するだけだ。
普通、整理するほどの人脈はないし、時間はあるがカネがないのである。
「社長のカバンは、なぜ軽い」を読んでカバンの中身を減らす人は、きっと成功しない。
流されやすいだけであり、形から入るだけである。
「人の心にぐっと響くひとこと」は、みんな知っていて却ってぐっとこない。
名言が欲しければ、その辺りの酔っ払いを観察していた方が成果はあると思う。
 
『カネなんかあるわけねーだろ!給料が少ないんだから!』
『給料なんか増えるわけねーだろ!仕事がねーんだから!』
『仕事なんかあるわけねーだろ!オレが社長なんだから!』
 
落ちをつけて笑いをとり、誰も傷つかない。
笑っているのは社員なのであるから、その人徳たるや天晴れである。
 
さて、ニーチェ
 
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フリードリヒ=ヴィルヘルム=ニーチェ
いかにもヒゲを生やしたドイツ人ぽい名前で、事実その通りである。
このお方の本(言葉)が流行る理由ははっきりしている。
・ ご都合主義の神や宗教を否定している
・ 悩んで生きる人間を肯定している
金もなく人を信じられず、世相は殺伐、どうにもリーダーが不在、でも自分にはどうにもできない。
そういう時代は必ず哲学を必要とし、宗教は必要とされないのである。
何よりニーチェのおじさんは「苦しいときは誰も何ともしてくれない」ということをきっぱりと言ったのである。
数多の宗教とそのニセ宗教は必ず言う。
『あなたの行いは必ず報われ、必ず幸せになれます』
誰しもそれがウソであり、ウソくさいとは判っているのである。
が、そこを「ウソです!」と言ってしまうと、どうにもこの世は味気なく寒い。
そこを言い切ったから当時は疎まれたし、いつまでも新鮮なのである。
 
どうも生きていると「なんとなくゾーン」というのが多い。
善悪・良心・道徳義理不義理・・・
善悪なんか、ヒトの基準が決めている。
善悪という基準そのものがおかしい(ニヒリズムとか言われる)とニーチェのおじさんは言った。
そして「そういうことを言うお前こそがおかしい」と反論する多数を、更に飛び越えようとしたのである。
・ 何が正義か、くらい自分で考えなさい
・ 何がおかしいか、くらい自分で考えなさい
・ 何をしてはならないか、くらい常識でしょう
こう考えるヒトこそヒトである、と言ったのである。
 
当たり前であるが、そうでもない。
難しいことは誰かが決めてくれるから、自分はそれに反対か賛成か、だけ決めればいいや。
こういうのがまかり通ると、不平や不満ばかりが増え、自分に甘く他人に厳しくなる。
優しさと甘さを履き違えるようになり、失敗は何でも他人のせいにしやすくなる。
(うーん、ボク自身胸が痛い)
菅さんが叩かれているが、叩いていいのは菅さんよりも優れていてチカラもカネもあるヒトである。
もっと言えば菅さんを応援していて、どこかで裏切られたヒトである。
「暑くも寒くもないが、何となく・・こう・・もっと良くならないかな」
こういうぬるま湯で真綿で曖昧で残酷な理由では、他人のせいにはできない。
自分が責任はとりたくないが、誰かが痛い目に遭わないと何だか納得いかない。
そういう「何だか・何となく」は、実は哲学的には許されない。
きちんと苦しんで悩んで悩んで、そうやって生きているヒトにしか哲学は響かない。
ニーチェ自身はきちんと苦しんだのである。
 
本屋でニーチェ本を読んでもおそらくピンとくる言葉はない。
共感できる部分があるとすれば、そう考えざるを得ない自分の不幸だけである。
そして不幸というのは決して共有はできない。
なぜなら、誰もが「自分こそが不幸だ」と思っているからである。
不幸を科学するのが哲学である。
だから哲学はいつも日陰なのである。
 
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ボクの大好きなこのヒトもニーチェのおじさんと結論は近い。
神というご都合主義を嫌いながらも、立場上「神があるとして」というスタンスを採ったので辛かったろうと思う。
 
神を必要とするうちはヒトは未熟なのだ。