ウツ人だけの道
声が出なくなった、身体も重い、眠れない。
このぐらいならボクは大して深刻にならずに動く、いや動きたい。
声が出ないくらい・・と思うが会社は許さない。
妻に連絡を入れてもらい、休む。
今週が始まって、いまだ出社していないことになる・・・オエラの笑みが浮かぶ。
ええぃっ、くそっ!!悔しい!!
と、そこでふと自分の思いあがりに気付いた。
ウツ人がいくら踏ん張ったところで「ウツ人を理解しない一般人」には評価はされない。
そこを踏まえていたつもりで、全く判っておらず、
ボク自身、何かつけ上がって、ボクなら何とかしてやる!と思っていたのではないか。
一般人を見返そうとして、逆に一般人の立場に浸りきり、一般人に染まっていたのではないか。
つまり、ウツ人たる自分の要素をどこかで薄めて、
そこに一般人の要素をくっつけてうまく立ち回ろうとしていたのではないか・・そうか、と気付く。
何たる思いあがり。何たる姑息な生き方。ウツ人への無礼も甚だしい。
ウツ人の生き難さを良く知っていながら、それに負けそうになっていた。
負けを認める・・?、そもそも勝ち負けなど存在しない、それすらも忘れかけていた。
ウツ人にはそれぞれの歩幅があり速さがある。
止まることもあれば、進みすぎて止まれなくなることも多い。
焦って急いで何になるのか?
満たされるのは、たかだかちょっと数日の満足感と、ありもしない自尊心だけだ。
何年も苦しんで培ったウツ人としての生き方に比べれば屁にもならないものばかりだ。
危うく自分の道を見失い、更に道を否定しようとしていた。
ウツ人を否定することなど、少なくともボクにはできない。
これから新しく生きようと思うのは素晴らしいことだが、
そのために、昨日までの自分の生き方を嫌うことも捨てることも全く必要のないことだ。
この前の上司の面接で言われた。
『お前、5年以上も治らないんだべ?おかしいべ?』
そのとき電光のような殺意に似た熱い鋭いものがボクを突き抜けた。
きっとボクにではなく、ウツ人全体への罵倒に聞こえてしまったんだろう。
(コレも思いあがりだが・・)
が、殺意はすぐに殺意を通り越し、理解できいないヒトへの哀れみと自分への歯がゆさに代わった。
自分への苛立ちが、樹海に射す光のような、か細い不安を呼び、それはすぐに樹海そのものになった。
声が出ない、身体が重い、めまい、不眠、焦り、不安・・・。
全て、一般人が笑い飛ばすウツの症状だ。
所詮、判らん者には判らんのだ。
くだらないことに悩んでいたなぁ。
明日、出社できたら、笑ってやろう。
『5年じゃなくて7年かそれ以上だ!』
『7年かかってここまで来た!』
『ここから何年かかるかなんて知らん!』
ウツ人とは悪者ではない。
ウツ人とは病で死にゆくものではない。
ウツ人とは個性であり生き方である。
非難される何物もボクらは持っていない。
あるのは自分だけの道。
一般人と比較すれば、なんと険しい歩きにくい道か。
が、足元のイバラが心地よくなり、木漏れ日が時に優しく感じる・・おかしな道でもあるのだ。
ウツ人は皆、誰もが負けない。生きるだけである。
「負ける」というのはウツ人以外が作った蜃気楼のようないい加減なものである。