MelancholyDampirの日記

ウツな人の独り言

ウツ人の父

娘は頭がいい。
勉強ができるのとは別に頭がいい。
いつも口をあけて呆けてはいるが、成績表を見るとボクの娘であるのを疑いたくなる。
頭の良さというのは学校の成績表には表示されない。
だから、学校はいつまでも教師と、勉強のために勉強する囚われ小鳥の総体でしかない。
挨拶ができる、とか、他人と協力して作業ができる、とか封建的な物差ししか持っていない。
教師は戦争を毛嫌いして、原発には大挙してデモを行う。
そして、成績表では「軍人なら○」みたいな○×をつける。
自分たちが一番度し難い矛盾をぶらさげていることに気付きもしない。
日本は平和だ、というのはそういうところにベッタリと脂ぎって現れる。
 
娘は本が好きで大抵の漢字は読む。
数字も好きで、一度教えると、とちらない。ムムム・・優秀だ。
学校を終えて塾に行ったり、家庭教師をつけたり、長くそんなおかしな風潮の中にいると、
「おたくのお子さんはそもそも勉強に向かないくらい頭が悪いんですよ」といいたくなる。
先生の言うことも判らんのなら、おそらく親の言うことはとっくに聞いていない。
自分の頭の悪さを棚に上げて「社会がどうの」と他人のせいにばかりする。
他人のせいにする、これは冠たる頭の悪さである。
頭の良し悪しは学校では判らない。
教師がまず他人のせいにする性癖だからである。
脱線。
 
イメージ 1
 
娘は空気を読む。
ボクが少し具合が悪くても気付く。
これをこのタイミングで言ったらどうなるか、何を言うべきで何を言わないべきか、そういうことに長けている。
世間というものの中で、何が良いとされ何が良くないとされているか、そういう物差しをもう持っている。
父としては喜ぶべきだろうか・・いや不幸だと思う。
たかだか小学生くらいは、アレをするなコレはダメだ、そういうことにいちいち腹を立てていればいいのだ。
怒られて泣いて、しばらくして腹がへって、たらふく食べて、アレなんだったけ?というぐらいでいい。
親の顔色や、まして親のウツの度合いにまで心を砕かなくていいのだ。
娘には申し訳ない。
 
我が家はゲームを始め、遊びに便利な既製品が少ない。
娘の服もリサイクルが大半である。
祖父や祖母が「何かいるかい?欲しいものあるかい?」と聞いても、娘の歓心は買えない。
娘はとっくにモノを要らなくなっているのだ。
小さい頃から、いや生まれたときから、父はウツ人で母はその面倒を見ていた。
家庭の平穏は、父の体調次第で、「ずっと前からの約束」でさえコロッと放り投げる父なのだ。
そこを、空気を読んで読んで読み続けて、たまにボクが機嫌よく居間にいるとジャレてくる。
もっと女の子は、父親を汚い、つまらないと遠ざけるものなんだよ。
父のバカ話をもっともっととせがむんじゃない!ほとんどはシモネタだ・・。
妻は「アレしなさいコレしなさい」ときちんと母親をやっていて偉いと思う。
ボクはてんでダメだ。
短い時間を見つけて、ボクの中で印象づけようとする娘が健気に思えて仕方がない。
「アレしなさいコレしなさい」と言う前にボクが何もできていないので何も言えない。
言う気もない。
毎日毎日、虐待のニュースが面白半分で流されるが、どうにも判らない。
どんな大人だって誰かにかまって欲しくて、認めて欲しくてウロウロしているのである。
親にかまって欲しいのは子どもなら当然、という以前である。
そこには義務など一切ない、親の義務もない。
親子であろうと努力する、そういう「親子を勉強しようとする」おかしな姿勢が現実を複雑にし不幸にする。
 
子どもに早くから勉強など要らない。
親に抱きしめてもらうのがまず第一で必須なのだ。
親も「忙しくて・・・」とつまらん言い訳はしてはならんと思う。
子どもの空気が読めなくなった辺りから、親は飽きられるのである。
子どもが何を考えているか判らない、というのは言い訳にならない。
子どもは親の空気を痛いほどに読んでいるのである。
 
こうやって偉そうなことを書きながら、感じる。
では、よその子どもはアホでもマヌケでもいいのか?
基本、アホでもマヌケでもいい。
ただ、よその子どもだからどうなってもいいとは一度も考えたことはない。
少し、実はボクはいい奴じゃないのか、と思った。
ボクが子どもの頃はこういう大人が多かった。
つまりボクは、昔の大人になっただけだ。
平成なのに。
 
 
イメージ 2