なぜ勤労感謝の日というか
11月23日。
しっくりこない。
こないどころか、何を祝うのか焦点がわからず腹すら立ってくる。
祭日は接客サービス業は書き入れ時であり、祝われるどころか、お客をヨイショで疲れきる日である。
労働していない者は、うなだれて引きこもる日でしかない。
子供たちは『お父さんお母さんに感謝しなさい』とイミフなことを強要され、
お父さんは『たまには家族サービスしろ』とお母さんに強要される。
そのお母さんも姑たちから『敬老の日以外でも感謝して欲しいもんだ』とイヤミを言われる。
感謝は強要されると憎しみしか生まない、気をつけたい。
スーパーなんかで「勤労感謝の日フェア」とか銘打って、栄養ドリンクとか売っている。
どこまでもずれきっている。
感謝の日なら、労働者は一切休んでいい日なのだ。
フェアなんてやってる日じゃない。
どこに出かけようが、店も施設も一切が休業の日であるべきだ。
ドラえもんでいえば「ぐうたらの日」であるべきなのだ。
ボクは労働しているが対価がない。
何に感謝すべきか?感謝とは何か?どうすればいいか?どうすべきか・・
尾崎豊氏の歌詞のような心境になって悩む。
本来「新嘗祭」という神事の日であったらしい。
五穀豊穣を願って、コメなどの収穫を前に宮中でも盛大に豊作を祈願したとあった・・気がする。
五穀は護国と同じような意味で、当時は神である天皇を神格化する行事の意味合いもあった。
「勤労感謝の日」としたのは1948年。
別に「五穀豊穣の日」で良かったのに。
TPP参加に向けて、お百姓さんたちや漁師さんたちは挙って無茶できる日であるべきだ。
「まだまだ日本だけで食べていけるよーん運動」をぶち上げたっていいのだ。
ウツ人にとっては祭日は大した意味はない。
曜日や時間感覚すら怪しいので、今日は・・何かヒトが多いな・・くらいの感覚しかない。
テレビで「いつもと違うな」と感じるくらいか、テレビも見ないで何となく過ぎる日である。
何にも特に感謝する気はない。
ただ、見守っていてくれるヒトや、ボクがいなくなったら悲しむであろうヒトに、
小さいながら感謝したい。