つぶやき師走27日
北朝鮮には政府として弔意を示さないようだ。
政治的思惑も大いにあろうが、国家の元首が死んだのだ。
かの国のひとつの時代の終わりに対し、最低限でも礼儀は通すべきではないか。
日本の立場からすれば拉致の大問題がある。
そしてかの国にも侵略や慰安婦や領土問題がある。
見方が違うだけで、同じものを同じ時代に見てきたのだ。
生前の行いを以って、そのヒトの死を悼まないのは、もっと愚劣ではないのか・・・が・・
汚い表現をすれば、ソレを手持ちカードにして次の外交への手札としてもいいのでは。
10大ニュースは今年はして欲しくない。
いや、できるはずがないのだ。
クニやヒトの幸不幸を決める物差しなど、誰も持っていないのだ。
3.11の大災害は、どこまでも記憶され事実は歴史になる。
災害から学ぶ教訓などない。
必死に生きようとしなかったヒトは、あの時あの場所にはいなかった。
備えたから、知ったからと、どうなるものではないのだ。
10大ニュースなどいらない。
「あぁそんなことあったね」、そうやって忘れ去ろうとする事などできない。
忘れようにも忘れられずどこまでも怖くて寒くて・・・ウツ人なら判るだろう。
ボクは来年から、また会社とやりあうことになる。
仕事はあるだけ幸福だ。
そう思う。
無論「何か文句をつけるための仕事」である。
成功していけば、圧力は増す。
失敗するまで、倒れて壊れるまで、圧力は続く。
それでも前に行かない限りボクは止まれない。
ここで止まるわけにはいかないのだ。
正義とか使命とかそういうモンじゃない。
ただ生きることの、難しさ、哀れさ、おかしさ、幸せ、そんな上手く言えないものを抱えていることを示したい。
「うつ病は病気か?」そんな本すらある。
多数派は・・そうじゃないヒトは否定したいのだ、解らないから壊したいのだ。
反論する気もない。
ウツ人とは生き方だ。
病気だから、仕方がないから、そんな雑な生き方ではない。
少なくとも、あまり関わらないでおこう、そんな生き方ではないのだ。
ウツ人は国家の重きでも、大きなニュースでもない。
なぜウツ人が増えるのか?
そんなことを真面目に考えているようだから増えるのだ。