MelancholyDampirの日記

ウツな人の独り言

文系とは

『文系だから』、というヒトがいる。
計算が苦手であったり複雑なプログラムを忌避する言い訳であることが多い。
 
そう!ただの言い訳なのだ。
 
ボクも文系であるが、それは小難しい読書が大好物だとか、漢字に萌え~だからではないと思う。
ボクは「数学や物理が得意な自分」に長く憧れていて、そしてきっと中学あたりで挫折しただけだ。
言い訳で、数学や物理から逃げ、数字同士の関連から逃げ、
果てには人間関係という力学から逃げている。
全ては言い訳という簡単なことにはじまったのだ。
 
文系という人種はいないのだ!
理系ではない、ということへの言い訳でしかないのだ!
 
『私は理系です』、と断言したり公言したりするヒトは実は少ない。
理系のヒトの思考回路は特殊だとか、妙だとか、いわれるが、
それも「理系がわからないヒト」の言い訳であり嫉妬であり、見苦しい。
理系は、一足飛びに結論を出し、そしてその結論になぜなるのか、という過程へも自信があり確信している。
原因があれば結果を演繹推測でき、結果があれば原因を帰納推測できるのだ。
ところが、自称文系にはそれが判らない。
なんでこうなっちゃうんだろう?とかアレ?また繰り返してるよ?とかいっつもグルグルしている。
 
 
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そして、『いやいや誰でもそうだよ』と慰めあったりする。
言い訳同志で言い訳しあうのである。
コレが社会になると顕著で、プランが既に非効率だ!とか予算のバランスがおかしい!という警句は無視される。
なぜかというと、「理系になれなかった寄せ集め」が言い訳ばかりして、
それでもどこかで格好よく見せようとなんかしようとしているからである。
ボクもそういう一人だから良く判る。
阿呆なくせに、科学者にはどうにも歯向かいたいのである。
『2位じゃダメなんですか?』といった大臣は、理系になれなかったヒトだと思う。
一位を狙って、いや本気で一位を取るつもりでなければ、研究などできないのだ。
そして最近、そのスパコン「京」が2位になったが、そこで騒ぐのも、理系になれなかったヒトだと思う。
世の中を面倒くさくしているのは、文系なのだ。
精神構造が、理系への言い訳や嫉妬でできているからタチが悪いのである。
 
体育会系という人種もいる。
これも言い訳であるが、やはり文系の言い訳、嫉妬に起因する。
自分たちより、速く、走る泳ぐ投げる・・・どうにも勝てそうにないとなると「体育会系だから」と切り離す。
確かに、机で勉強が嫌い、というヒトは多いが、そういうヒトが全てアスリートになるかというと、ならない。
アスリートの多くは、自分の生き方の選択肢として何かの競技を持っている。
「投げられないなら死んだ方がましだ」というのは、文系がつくった美談であり、
アスリートはもっと計算して生きている。
もうすぐオリンピック。
 
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男女がヒトの限界を極めようとする世界は(開催への)カネを抜きにすれば、実に楽しい。
でもカネがあるからボクらは楽しめるのであり、そこは必要悪である。
アスリートは理系であると思う。
本番その場での瞬時の計算と冷徹さは、理系そのものである。
そして、『あの選手は顔が悪い』とかいってホッとするのが、文系である。
『オッパイが大きい美人選手図鑑』を出版するのも、買うのも、やはり文系である。
合掌。
 
「電波系」というヒトもいる。
妄想癖があったり、実際に妄想が暴走して、現実社会とのカベを越えてしまう、お茶目なヒトである。
何か事件があると、電波系で片付けようとする傾向がある。
言葉が違うだけで言わんがすることは一緒である。
『逮捕された・・は精神科に通院しており、安定薬を服用していたとのことです』
というアレだ。
ぼくらウツ人としては、一緒にするなよ!?と叫びたくもなるが、多分一緒くたである。
そこに腹を立てても仕方がないのである。
なぜなら、皆、理系になれなかったオバカさんであるからだ。
何か事件があったら、手っ取り早く、そしてなるべく自分と関係ないオチで納得したいからである。