怒哀を決めるのは後からでよい
世の中世知辛く、人情味が薄くなったといわれて久しい。
世の中と言っても殆ど日本しか知らないが。
おじいちゃんやおばあちゃんは言う
『昔はこんなんじゃなかった・・』
そりゃそうである。
スーパーで携帯でじいさんを呼び出し、
『違うよ!あんたじゃなくてチラシが要るんだよ!』とじいさんを追い返すようなのは現代ならではである。
バスで席がないとむっとし、昔は若いヒトが譲ってくれた、とか大声で言う。
自分の手持ちが一円足りないと『そのくらい何とかなるじゃない!?』というおじちゃん。
昔と違って、スーパーでは「時価」なんてないのだ。
どんなに顔なじみでも「負けとくわ」はスーパーやコンビニにはない。
少なくともあなたには一円の価値もない。
昔から常識は変わらないのであって、おかしなヒトは、昔もおかしかっただけである。
AKBがわからない。昔はこんなの売れなかった、と聞く。
売れているじゃないですか?
昔のアイドルでも同じだったのである。
中3トリオだろうが、たのきんだろうが、オニャンコだろうが、バンドブームの雑多な方々も同じである。
売れるために努力したのである。
自分たちより若いヒトが「稼いでいる」と気に食わないだけの、屁理屈で嫉妬で聞くに堪えない。
芸能人が何億も稼ぐのは当然である。
売り続けるには投資と元手が要る。
売れるためには有名にならなければならない。
血を流しきった努力に、やっとカネというチャンスが廻ってきて、ソレをつかんで何が悪い。
次々にヒットを飛ばすのは自転車操業かもしれないのだ。
ボクなら一日2時間程度の睡眠を続けて、私生活を封印して何年も有名であり続ける気概はない。
そんなチャンスやカネがめぐってきても、多分おしっこを漏らして、土下座しても逃げる。
どんな芸能人が出てきても、文句があるなら見なければいいのだ。
そして、十年後とかに残っていたら「すげぇなぁ」と思えばいいのだ。
いなくなっていたら、そういうことか・・と納得すれないいだけである。
一寸先は闇。
そういう世界を、自分が本当に手のひらで触れられるように実感したとき、闇はきっと恐ろしい。
闇でもそちらにしか進めないのだ。
ボクは怒らない。
怒ると、同じことでどっかで腹のソコから笑っているヒトが居る気がするのだ。
ボクは哀しまない。
哀しむ前に、同じことで喜んでいるヒトがいる、そういうことが気になる。
世の中はトータルである。
カネもモノもヒトも病気もトータルである。
ボクはウツ人であるが、どこまで家系を辿ってもウツ人がいない、そういうヒトがきっといる。
ボクは喫煙するからいつもタバコの値上げに恐怖しているが、
喫煙などありえないから、いくらにしても構わない!そういうヒトがきっといる。
世の中はトータルである。
ボクはハゲているが、きっとハゲる気がしない、そういう幸せなヒトもきっといる。
余りに生え際が濃いから、剃っています!などというブルジョアがきっといる。
モッタイナイ!
健康のために酒もタバコもしないで、毎日走っているヒトは多い。
そして、そういうヒトの中に必ず「急にガンになって・・」というヒトがいる。
大酒のみのヘビースモーカーで犯罪もヘッチャラというヒトが長生きしたりする。
世の中はトータルである。
どこかで帳尻が合っているのだ。
だから、ボクがウツ人できっつい日があっても、いいのだ。
どこかで誰かが清々しい日を送っているのだ。フン。