MelancholyDampirの日記

ウツな人の独り言

うつ病とは~砂に咲く花~

シモネタが書きたいぞ!!
 
と、吼えてみたところで、ボクの空回りでひとりよがりである。
ボクはこの「ひとりよがり」という言葉にとても、クレイジーなくらいHな気分にさせられる。
こういうネタは今は伏せます。
(ずっとウツ人を見守ってくださっている方は残念でしょう?・・
と、こういう思い上がりこそがまさに「ひとりよがり」なのである)
なぜなら最近は熱心な、いや、とても深刻な波の真っ只中にいる方が多いのではないか、
そういう気がするからだ。
季節の変わり目であり、春に始まった新しい「色々」な関係に、そろそろ別の暗い色が影を落とす時期でもある。
多くの地方は、何をしてもうっとうしい、そう、「鬱陶しい」梅雨に入っている。
気候に始まり、他人との関係や自分でさえ鬱陶しいのに、鬱にならない方が難しいのである。
 
さて、ウツ人のボクとしては、今更、気合を入れて書く何物もない。
筆に任せるが、ボクの私見なので、押し付けではない。参考である。
が、読むからには、きちんと読んで欲しい。
テレビを流しながらとか、寝転がって携帯で、とかそういうのは、書くほうに失礼である。
ボクもヒマだから書いているのではない。
ウソです。
眠剤が効かないので書いています。
ラクにしてください。
アスファルトに咲く花のように♪ という歌があった。
ボクでも知っているのでいい歌なんだろうし、いい歌詞である。
涙の数だけ強くなれるのである。
辛いからこそ耐えて乗り越えて、そこに祝福の花が咲き、花を咲かせるのである。
つまりはPOPな儒教であり浪花節である。
 
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何気なく見ている光景ではある。
何もそんなとこに咲かなくても・・と見ていてきつくなる。
ボクの家の周りにもこんなタンポポが沢山、苦難を乗り越えて咲いている。
ソレを何の感情も無しに、雑草としてビシバシと刈っていくのも、同じボクである。
アスファルトや縁石には隙間が多く、そこには水も土壌も実は豊富である。
ひねくれた根性のボクには、エゴの強い目立ちたがりが、あっ!とやってしまった失敗例に見えるのである。
ここに強さや深さや、人生を見出すには、少しどころの感性では難しいと思う。
ウツ人には花など愛でる余裕はない。
「こんな花なんて咲いているのに・・自分なんて・・」と自己嫌悪が先行するのがお決まりである。
花を見たら花、でいいのだ。
空を見たら空、でいいのだ。
何かにつけ、自分と比較して落ち込んでしまうが、それでいいのだ。
自分と同じ感性を他人に求めることがそもそも無理であり、
自分が常識人だという思い込みも、多数決では怪しいのである。
多数決では、常にアスファルトが勝つのであり、隙間はあちこちにあるが、そこに居場所は滅多にない。
アスファルトは、ウツ人以外が自分たちの都合で「固めた」場所の連続である。
だから、そこここで亀裂が入ったり、色が違ったりする。
そんなところに無理に顔を出して、我を張らなくていいのだ。
忘れないで欲しい。
ウツ人は、自分がOKをだしてあげればそこで満点なのである。
例え、火の中水の中であろうと、便壷であろうとドツボであろうと、そこで息さえできればいいのである。
 
 
今は息さえ苦しく、越えられない高い壁にへばりついて上を見上げ、ため息ばかりついている、
そういうウツ人が多いと思う。
ボクも今までそうだったし、今も同じだ。
壁は壁であり、どんなに脚力があっても、中松シューズを履きこなしていても、壁は高い。
壁の向こうにどんなお得なものがあるかも判らない。
越えられそうな壁自体が毒やワナかも知れない。
向こうに着地する足場があるとも判らない。
結論は簡単であるが、難しい。
 
命の危険をおかしてまで、越えるのをやめれば良いのである。
壁は眺めていても低くならない。
少しずつ後ずさって、まずは座って一呼吸おくことが必要になる。
いや、必要ではない、必須なのだ。
学校や会社、新しい人たちのつくる新しい世界は、時に??となり!!に感じる。
ウツ人にとって、壁でありアスファルトである。
ウツ人がそこに咲くのは無理である。
目立つことはないのである。
 
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雪に咲くのは・・きつい。
 
ウツ人は、砂に咲く花のように生きればいいと思う。
それが最高ではなくても、そこそこ生きられる環境であると思う。
砂には水分が殆どない。
雨でも降れば潤うが、雨など降られたらたまらないのである。
ウツ人には「名誉や地位や褒め文句=雨」である。
ウツ人という目立たない花にとって、雨は圧力でしかなく、根こそぎ流されてしまう。
傍目には居心地の悪そうな、水気のない、渇ききった砂こそが、ウツ人にはなぜか居心地が良いのである。
心が渇き、渇ききったウツ人には、余計なものは一切いらないのである。
 
生きているだけで良いのである。