ごめんな・・
会社の一方的な言い分で「主治医の変更=病院の変更」が決まった。
もう10年近くウツ人をやっているから、主治医との足跡も10年近くなる。
短かったとは決していえない。
何度も「死」につきまとわれ、その度に説得され、生き延び、いや生き延びさせてもらい。
言葉を通してもどかしかったことが、症状や顔を見れば判ってもらえるようにもなった。
そこに甘えはなかった。
ウツという病気、そしてもっと深いところにある別の病気を含め、長い期間をかけて闘ってきた。
そこに甘えはなかった。
生と死、避けて通れない、通りたくない道を、主治医は見てくれていた。
無論、家族も。
赤ん坊だった娘はお姉さんになり、生まれた赤ん坊は走り話せるようになった。
時間とは、ウツ人にとってただの闘病だけの重いものではないのだ。
今月に入り、急にオエラは言った
『10年近く治せないんだから、何してんだ!?ってなるだろう!?』
急な本社での面接、産業医の親玉と面接。
(親玉とは名ばかりで、おそらく元軍医か、そうなれなかったイジメが趣味のおじいちゃん)
(泣いて走っていく「面接」名目の職員を何人か見た。きっと辞めていくのだろう)
『休むような人間は要らない!君のパーソナリティに問題がある!』
妻も詰問される。怒りで震える妻。申し訳ない。
『なぜ動けないぐらいで寝かせておくの!ただ寝てるだけかも!もっと頑張らせないと!』
『ボクの後輩を紹介してあげるから!悪いようにはしないから(笑)』
何も言えず、言えるはずもなく、胃液を飲み込みながら帰る。
ごめんな・・言いたい放題言わせてしまって・・・
疲れきって帰ると、会社でまたオエラの面接。
『偉い産業医の先生が「紹介してくれたこと」に意義がある!』
『その助けの手を拒否することは許さない!』
『医師は合う・合わないが重要だと!?合う合わないなど関係ない!』
『主治医を替えるんだ!
そういう気持ちで行かない限り、会社はお前など知らん!』
昨日、主治医にその旨を伝えて紹介状をもらってきた。
主治医は嘆息して言った。
『紹介状を書けって・・・主治医を替えろって・・そんなこと通るんだね?すごい会社だね・・』
『でも違う病院に行かないと、ダメなんでしょ?そういう会社なんでしょ?』
ボクはも主治医も同じことを考えていた。
過去に行った「会社に紹介された病院」のこと・・。
ただの一回で誤診され、間違った処方で廃人になりかけたこと。
それでも紹介した以上、通院を続けろ、と吠え続けた会社。
支払いを待っていると、主治医が傍らに座った。
『会社、辞めればここにも来られるんでしょ?』
何も言えない。
ごめん、先生。
主治医を替えるとは、信頼関係を重んじる精神科にとってどんな意味を持つのか。
いや、誰も判っていない。判らない方がいいのだ。
そして、死人を出しても、「本人の意思で病院を替えたのですから」と強弁すればいいのだ。
『私たちは出来うる限りのことをしました』そう言えばいいのだ。済んでしまうのだ。
組織と言うのは、ヒトではない。ヒトが集まるとヒトの顔をなくす。ヒトの感情をなくす。
個人ではなくなる。責任を取らなくなる。自分たち以外を軽んじる。どうでもよくなる。
どうでもいいから、何をしても構わない、そういう残酷さが出る。その残酷さが組織の正義になる。
社員が故意に会社に甚大な損害を与えた、ということと、
メンタル疾患社員は、いつしか同じカテゴリーで語られるようになる。
奇妙で肌が粟立つが、静かな残酷な多数決。
常識とは常に強者の物差しなのだ。
コレを会社の経営陣が読んだら「でたらめだ」と一笑に付す。
そう、でたらめだ。会社の利益にならないことは、全てでたらめで切り捨てポイなのだ。
さっき娘がうなされたいた。妻がやさしくなだめにゆく。
ごめんな・・
妻も眠っていない。
ごめんな・・
日に日に「死」という存在が、真面目な顔をしてやってくる。
「何か困っていないか?」「そいつはひどい、そりゃいかん」と大いに怒りボクの肩を叩く。
そこで相談をしてはいけないのだ。
話が佳境になると「死」は、急にくさい息を興奮ぎみに吐き始める。
「で、いつ?いつ?」と中学生男子ばりに日程ばかり決めだす。
答えなどしない。
まだウツ人として、自ら死ぬわけにはいかないのだ。
ごめん。