MelancholyDampirの日記

ウツな人の独り言

1の昼と10の夜と

体調は良くない。
良くないからこそ書く、そうしてボクはココまで来ている。
前回の記事?に対し、望外を越える沢山の回答を頂いた。
本当にありがとうございます。
悩みは話すことによって、半分の負荷が減るらしい。
半分は話せたので、もう半分しかない。
その程度なら自分で何とかできる。ありがたいことこの上ない。
何か問題があると、多数決で決めるのが民主的である。
だから、勝敗が覆ったり、消費税は上がることも民主的である、という。
 
ボクの記事への回答やご指示も多数決と採れなくもないが、そうはしない。
理由は2つある。
一つ目は、相談しておいて、高みで判別したくないということ。
二つ目は、どんな啓示があっても、ボクは変わらないだろう、ということである。
ボクは今後、おそらく最悪の結果に向かうと思う。
それは、死ぬ、ということではない。
例えば明日死ぬ。死んだ後で家族がどうなるか。
そんなに不幸にはならないだろうと思う。
(↑こういう横暴な勝手な考えを持っている限りは、ボクは死なないと思うのだ。)
 
悪い癖だ。
ボクには悪い癖がある。
判っていないのに「わかりました」とペコリと頭を下げて、アカンベーをする癖である。
これを繰り返すと、話を聞いてもらえなくなるどころか、あいつとは話をしたくない!となる。
『あなたのためを思って・・』といわれるともうダメなのだ。
・ 「あなたのためを思っている私」の都合よく・・っていうことでしょ?とやってしまう。
・ ボクのためなら、何も言わないでくれ、とやってしまう。
 
天邪鬼では片付かない、そう、ただのだだっこに成り下がるのだ。
医師に対しても、先回りして回答し、診療の幅を縮めている・・判っているのだ・・。
今度の病院でも、医師に対して先回りすべきであったが、ボクはしなかった。
もう疲れたのだ。そういうのに。
予測は予測でしかなく、予測の範囲内の現実も、また、現実でしかないのだ。
 
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ウツの薬は相当に進化しているらしく、今度の病院では早々に新薬を処方された。
SSRIやSNRI以降の薬で、3種類あるうちの一種(2種は日本では未承認)である。
ボクには「合わない」と判った。判ったが飲まねばならない、薬とはそういうものだ。
ノルアドレナリンにしてもセロトニンにしても、抗ウツ薬が果たすべきは変わらない。
いかにして「脳にその気をださせるか」ということである。
新薬は一言で言うと「脳をだます」というものである。
「やる気を萎えさせる」ふりをさせて、あぁしまったソレ!という芝居を脳にさせる・・・。
なんとも回りくどい薬ではある。
だからボクには向かない。
 
ボクは「脳をだまして」ここまで来たのである。
ダイエットとか、記憶術はボクには向かない。というか必要ない。
なぜなら、痩せていると思えば太る、逆なら痩せる。そういう脳にしてしまっているからである。
本とか単語の類も見れば忘れない、そういう脳にしてしまっているからである。
自慢でもなんでもない、ボクにはみじめな話である。
逆にとれば、必要だ!としっかり言い聞かせなければ「全く何もしない脳」なのである。
自分で、今あぁ・・とため息をついてみた。
こういうことをしないと、自分の立場さえ忘れかねない脳なのだ。
 
コレを結果から帰納的に病理学云々するとアスペルガー等の所見になる。
高次機能かといえば高次機能であるが、社会性は低かろうと思う。
ボクは生まれて以降の全生活史を失ったとき、一から脳に「だましアルバム」を刷り込んだ。
生(なま)の喜怒哀楽を失ったとも思ったが、何とかなった。脳は大したものだ。
 
さて、
薬が効かない。1週間で薬効がゼロというのでは、医師も面子がないし次の処方に困る。
いや、こういう先回りしたことは考えなくていいのだ。
薬が効くかどうかは医師が決めることであるし、患者はありのまま伝えていればいいのである。
しかし・・
だからボクも脳も「判っていない」のである。
確りしなけれなぁ。
右手に火傷して、右手かどうか確かめてから「あっつい!」と言っても条件反射神経ゼロである。
皆の温かい気持ちがきっと判っていない。
無神経、とは良く言ったものだ。
ごめんなさい。と書いて脳にも言い聞かせて・・。