甘味処
生クリームをボール一杯分食べる。
スーパーで売っている生クリームを泡立ててそのまま全量食べるわけだ。
コレは2ヶ月に一回ぐらいの行事であったが、最近はしていない。
理由は簡単。
甘いものが入らなくなったからだ。
中年時代とは、背後から忍び寄ってきて振り返ると誰もいない嫌な気配に似ている。
上か!?などとシャアを気取ったところで上には、おじちゃん意外誰もいない。
足元からヒザ、腰の辺りまで、しっかりと中年時代にからみ浸かれており足が重い。
『子供たちにかじられたスネが・・』などと言い訳しているが、何のことはない。
自分自身が運動不足で不摂生で身体が重いだけなのだ。
スイーツ男子、という甘い言葉があるがソレは最近の分類。
ボクらオッサンになると、男子ではない。
タイヤキ食べてるオッサン、とかパフェ食べてるおじさん、とか世間様も容赦がなくなる。
中年男は喫茶店に入ってもメニューは見てはならなくなる。
「うーんチョコパフェか、抹茶あんみつか・・」と時間もかけられなくなる。
別に、強制せらること何もないのだが、若人婦女子のようにはいかなくなる。
「コーヒーで・・」と俯いて言わなくてはならないのである。
そしてミルクも砂糖も出されなくても、さも当然、と黒い苦い不健康なお湯を飲み干さねばならないのだ。
いやだ!!
ボクはコーヒーがどこの産地でどんなに高価であろうと、コーヒー牛乳みたいにしないと飲めない。
香りをお楽しみください、と言われようと楽しめない。
香りだけなら、香だけ焚け。
コーヒーは甘く、そしてほどよくぬるくしてくれ。
だから家で飲むことが多い。
外でも、コーヒー以外にカフェオレがあればそっちに流れる。
オレ!という響きに弱い。
過去にバナナオレやイチゴオレ、フルーツオレでどんなに味覚に一撃を喰らっても「オレ」に弱い。
ボクは甘くないと飲めないのだ。
こういうのを中年になりそこない、と呼ぶ。
幼年時代に甘いものに飢えたせいで、いつまでも甘いものの幻想から抜けきれないのだ。
スイーツオジサンという言葉はない。
オジサンは甘くなく渋いもの・・らしい。
だからって飲食にまで渋さを求められると困る。
コンビニで同じ歳くらいの会社員たちが「ブラック・無糖」を買って、颯爽と営業車に消えていく。
交通法規なんのそので、携帯片手に慌しく街中に消えていく。
24時間闘えていますよ!
かっこいい・・・とボクは思う。
彼らは、いつどこでどんな通過儀礼を体験したのか。
甘いオレからの誘惑をどこで断ち切ったのか。
ジョージア250ミリから、いつ、BOSS190ミリになったんだろうか。
いや、彼らのように渋く育った世代が、クニを固め、クニを作り石原軍団を生んだのだ。
思うに、異性を意識して、趣向が変わるのではないか。
渋くいたい・甘く思われたくない、そういう見栄が、糖分を遠ざけるのではないか。
いや。
渋い=男らしい、そういう乱暴な誤った見識が、男らしさのそもそもの間違いではないのか。
昨日、ファミレスで周りを見てみた。
オジサンはみんな水を飲んでいた。
連れのオバサンと子供はパフェとコーヒーブラックであった。
女は両取り、男は水か。
貧しさの前には、渋さも要らなくなったか。
ふぅ・・。