MelancholyDampirの日記

ウツな人の独り言

自販機少女

毎日書くことが沢山浮かぶ。憶えられないほどである。
毎日書きたいと思うが、そんなに勤勉ではない。
だから、とっておきの記事はボクの脳の中でゴミ箱に入っている。
探すこともなく日常の中にいくらでもネタはある。無限にある。
が、日記は書かない。
日記はきっちり付けているので同じことを書く気がしないのだ。
ボクは面倒くさがりなのだ。
 
先日、北海道でも有数の都市にドライブしてきた。
何か美味しいもの!と目論んでいたが子供との公園めぐりになった。
いつもより少し広くて、少し違う遊具のある公園。
子供たちには遊園地よりゲームより新鮮に映ったのだろうか、欣喜雀躍、そんな感じだった。
もう店めぐりとかどうでも良くなった。
子供の笑顔こそ最高の買物であるのだ。
それもプライスレス。
汗をかきながら木を登る娘。
ソレを見て木の股にはまり込み、大泣きする息子。
股にはまりたがるのは「血」だ。許せ。
ナナカマドの真っ赤な実を見ていると、冬がもうすぐソコなのだと感じる。
北海道の秋は俊足だ。200メートルを10秒切るだろう。
自然は焦る。
トンボは群集で慌てて飛び、急いで交尾するから、見境なく5匹は繋がっている。
紅葉と初雪は一緒くたのごった煮になる。女湯男湯は関係ない。
 
 
 
景色や気分がいいとタバコが欲しくなる。イライラして不安でもタバコが欲しくなる。
つまり、ボクはいつでもタバコが欲しいのだ。
「タバコは幼少期の授乳に対する口唇願望であり、幼児的心理行為である」という言葉。
いいいじゃんか!?
男はおっぱいがいつでも欲しいのだ。乳離れしたらソレはもう男じゃない。オバサンだ。
女のスモーカーは、おそらくオジサンなのだろう。乳が出ないが欲しいのだ。
脱線。
 
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タバコを切らしていたので、公園を後にして自販機に走る。
不健康になるために走って健康的なのである。
ジョギングの後の一服が最高だ・・ということ。矛盾だろうが、そういうものだ。
子供の頃「自販機ババア」というのが居た。
町内の自販機をうろついては、商品や釣銭の取り忘れをあさりニタニタしているのだ。
ボクも自販機の釣銭や、下に10円くらい・・・とやっていたが、ババアに先を越された。
こっちが先に見つけても、『コラァ!そりゃあたしんだよ!この辺は全部あたしんのだ!』と、
凄い剣幕と論理で追いかけてくるので、かなわなかった。
自販機の前に車で乗りつけた急いだ感じのサラリーマンなど、格好のババアの餌食だった。
あ、タバコ、あ、ジュース、と思っても、ババアは物陰からニタニタ見ているので遅いのだ。
あれから時は平成になり、きっともうすぐ平成も終る。
貧しかった昭和は去り、飽食の平成になり、それも健康を害しやせ細る。
それでも平成は富んでいる。
こんなことを思い出したのも、あの少女を見たからだ。
 
ボクは妻子が気になり、釣銭を取ったのにタバコを忘れたのだ。
いつものタバコはなく、何でもいいやと押したが何でも良くない。
ラークハイブリッド・・・フィルターをつぶすとメントールになるのだ。何がハイブリッドだ。
金以外に腕立てとか労力で買えるようにしろ。自転車を備え付けて発電したら10円安くしろ。
そんなことを考えながらまた走って自販機に戻った。
少女?がいた。
まだ少し暑いのに、薄汚れた長袖のパーカーをすっぽりかぶり、自販機をあさっている。
遠くから顔までは見えない。ジーンズかスウェットか判らないボトム。男の子かも知れない。
釣銭をあさっては次へ次へ、黙々と手馴れた作業をしている。
ボクが買った自販機で動きが止まった。そうだ、ソコにはハイブリッドがあるよ。
だが・・。
ボクは小走りして 「やべぇタバコ!あったあった!」とさっと掴んでその場を走り去った。
少女だった。顔はやせ細り、色も悪かった。乗っている自転車はおそらく一般にはゴミの類だ。
子供のにおいがしなかった。少女は逃げた。
少女の自転車はガタピシいいながら走り去った。多分ボクの娘と同じくらいの歳だ。
ボクは走った。行きよりなぜか、帰りが速く、やがて全速力になった。
目の前で妻子が楽しく遊んでいた。
連休。勉強しなくていいのだ。
遊ぶことよりも、釣銭、それは何のための金なのか。
飽食の平成は終わるのだろうが、ソレはこういう終わり方ではないはずだ。
子供は、少なくとも子供は、貧しくとも笑っているのだ。そうするのが大人だ。
大人はどこまでも子供を助け、子供に大人が救われるのだ。
 
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ボクはあの少女に何もできなかった。いや、しなかったのだ。
いや、やはりできなかったのだ。
少女は、追いかければ追いつくところで止まり、こっちを修羅のように睨んでいた。
ただ単純に、獲物を逃した、そういう目であった。
ボクは、そういう目を何度も見てきた。 ボクもそういう目をしていた。
ボクがそこで手を伸ばせば何に届いたのか。何が変わったのか。
ボクは自分の子供を優先したのだ。
自分の子供さえ笑っていれば良いと思ったのだ。
反吐がでる。
あの少女に親はいるのか。
いれば、いればなぜ・・。その先はボクの友人達の経験で、考えるのをやめた。
皆が笑える社会など存在しない。そうだ。
しかし、しかし、となる。
「自分の子供さえ笑っていれば良い」、そうは思わない親が増えている。
いや、いつも一定の数いるのだ。
五体満足が、やがて学歴を望み、収入を望む。
間違っているとは言えない。少女にもババアにも生きかたはあるのだ。
ババアがしていたことを、少女だからやってはいけない、ソレは男の勝手な考えだ。
しかし、しかし・・・。