MelancholyDampirの日記

ウツな人の独り言

どこで勉強するか

図書館に良く行く。
無料であるという理由が全部。
ボクが適当に読むのが主目的。
新刊とか関係なく10冊くらい持ってきて、ざっと読む。
それど面白いなと思うと、検索して「代表作」を借りる。
大抵、その作品以外は残念な結果になるが、そうでない場合、はまる。
で、最近はホラー小説に傾いている。
昨日は娘も息子も同行したので、読書の時間はなかった。
文学界と春秋とすばるとオール読物を積んで、数分で棚に戻していく。
最新の文章の実験を見る期待感からであるが、内容はそうではない。
締め切りへのやっつけであるのだろう。
1000円は高いなぁ。
コレを購読しているのは、作家と作家予備軍であろうから、一般は関係ないというところか。
と思いながら、息子に「仮面ライダー」を描いて塗らせる。
誰が見ても、何のライダーか、何の絵か不明である。
それでも的確に塗っている?
かなり塗り絵は上手になったようだ。
娘は家では机に向かうのは苦手。
ボクもそうだった。ご飯食べて、テレビ見て、トイレ行って、という日常の環境では勉強ははかどらない。
それで「勉強に集中できる環境」というのが案件として浮かぶ。
図書館というのは、なんとなく本を読んでいるヒトが多いから、静かで環境だけでその気になるところである。
しかし問題はある。
何となく勉強している感覚、というのは実は一番危険で、はまってはならない環境である。
塾に行かせてそれで納得する親は多いが、授業料がただの「場所代としては」高い。
その気になるだけら、どこでもいいのである。
家で居間で、というのが一番理想である。
雑音の中で、なお集中して勉強(という作業)をするというのが日常的にさえなれば良いのである。
ところが、そうはいかない。
『宿題しなさい・勉強しなさい』という親が一番の障壁になる。
今やろうと思ってた、言われなければやったのに、というのは屁理屈でもその場逃れでもなく、子供の本音である。
 
 
ボクは勉強というのは、大真面目にやったことは数回の機会しかない。
朝でも昼でも、マクドナルドでも、夜中の自販機の前でも勉強?は、はかどった。
実際に、自分でどこまで危機感を持っているかである。
ココで一時間で勉強しなければするときはない、そういう危機感が集中を強き、記憶に拍車をかける。
勉強でもするかな、という時間は一日に何度もやってくる。
寒かろうが空腹だろうが、「その時」はやってくるのである。
そのときに、どこにいようが、さしあたり勉強するのが一番効率的であると思う。
だから、メモと筆記具はいつでも持っていることが必須になる。
新聞を読む。あぁそうですか、とはまず終らないと思う。そこでそれに対する自分の気持ちを書いておく。
ふと、くだらないことを考えているうちに「コレは面白いな」と思うとメモしておく。
今は携帯でもなんでもある。メモ機能で2千字くらいはすぐに書きとめておける。便利らしい。
ボクは携帯が苦手なオッサンであるから、メモを持ち歩いているだけだ。
街中で、太ったヒトがくるりと反転するのを見て、あっ、やるな!?と思う。
ドールの関節の案とかはさすがに絵が必要となる。絵にすると、やはり無理だ、とわかる。
人間とは良くできている。ドールの構造上としてはありえなくても、きちんと可動する。
ビバ人間!
若者の化粧や、服装は大いに参考になる。
きちんと「お手本どおりの」化粧、着こなしにはまず目がいかない。
今さっき起きて、とりあえず引っ掛けてきました、というようなところにヒントは盛りだくさんである。
スウェット上下にダウンだけひっかけて、靴下なのにサンダル、という辺りに目が釘付けになる。
男は許されるのに、女は化粧なしだとパーカなどをかぶって容疑者より容疑者っぽい。
人間は着ていれば様になるのだな・・・と感服する。
 
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図書館で親子おそろいの雑貨なガール、といった取り合わせをよく見る。
そこまで気合を入れると、ヒトは顔にしか視線がいかない。
それで、顔がかなり低空飛行な水準でそっくりだったりすると、寂しさが勝つ。
どんなに贅沢な暮らしぶりを大声で話していても、ウソ丸出しで痛々しい。
贅沢な暮らしなら本は買えば宜しい。図書館には、ただで暖が取れる、という貧乏な匂いが共通点である。
ということを考えていると、娘の勉強は終る。
娘は本が大好きなので、早く終らせて読みたい、そういう焦りが集中力を生む。
その辺で息子の集中力は切れる。ライダー変身!と叫びながら走り回り、館員に叱られて帰ってくる。
 
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ボクは塾にバイトとしてしか行ったことがないから判らないが、あの環境はうらやましい。
個人の机があり、静かなのだ。誰にもジャマされない。
が、それがいけないらしい。
一人ぼっち、となると不安になる。周りが気になる。
そしてフラフラと出かけていき、『こんなに勉強していない自慢』の仲間に入るのだ。
勉強していない奴はそういうところにすら現れない。心から遊んでいるからである。
そういうところには「中途半端」しか現れない。安心はもっとも危険である。
自分は劣っているから、もっともっとやらないといけない。そういう孤独な不安が実は効果的である。
実際に友人知人から見聞きするところでは、「一時間でもどっかで集中」が鍵なのだそうだ。
徒党を組んで勉強会、というのは今昔通してはやらないものだ。
引っ張られる足はないほうがいい。