そうなる総選挙
12月に選挙すること自体が策である。
選挙だけ考えている政治家に比べて、一般人はみな忙しいのだ。
年末商戦を仕掛けたり、受けたり、かわしたり。
決算期が絡んで更に忙しいのだ。
忙しい人こそが選挙に託す思いは多いが、選挙にいけないのだ。
もっと忙しい人、あるいは無関心の「どうでもいい人」は選挙にすら行かないのだ。
だから12月自体が策である。
投票率が下がれば、党員とその利権がらみの人の比重が多い。
勝てる!と自民は言う。
主権国民をなめるな。
2大政党制と言う。
自民と民主が2大とは誰も思っていない。
なんなら、政党がなくてもいいのだ。
引退している島田紳助さんあたりに全権を渡して「決めてもらった」方が楽なのだ。
そして、その方がマシなんじゃないか?と思う辺りが今の現状なのだ。
第3極という。
昔のアフリカみたいな呼び方がもう古いというのだ。
「前の選挙で民主を選んだわけではないでしょう?」
橋下代表は続ける。
「自民じゃどうにもならないからという理由で民主を選んだのでしょう?」
「また自民で、という話になりますか?」
もっともだ。
正論だ。
偉そうに言うなら、お前がやってみろ!
老獪な政治家がすぐに言う言葉だ。
ソレを「やってみせてしまった」のが第3極だ。
2大政党は「あそこにはとらせたくない!困る」と考える。
うちか、あっちか・・それ以外は困る。子供の論理だ。
あくまで、紅白の司会は自民か民主だ!とかそういう風に考える。
国民は紅白の司会はどうでもいい。
司会なんかなくてもいい。
いや、紅白自体なくてもいいのだ。
そこに「誰を立てるか」なんてやっている。
安陪氏でも中曽根氏でも誰でもいいのだ。
関心がないのだ。
どんなビッグネームが来ても「知っているくらい」のレベルでは投票しない。
細木数子 VS ダイゴ
ボクにはこんな風に聞こえ、どうでもいいのだ。
未来を占う程度なら、そんな政治は要らないのだ。
今更、重鎮の経験でもないし、若者のパワーでもないのだ。
今、また新たな政党ができている。
無論政権をとるためではない。
多数決の論理だけだ。
2大政党だけでは、一騎打ちになる。大敗は困る。
そこで第三極も生かす。
でも、3分の1の単純計算をしても、30%もとられては、選挙後に世論に勝てない。
そこで「その他」というのをボコボコと創る。
アンケートで言う「どちらでもない」という選択肢で、つまり逃げ道だ。
そして、12月にやる。
だから、強いだけじゃ勝てなくするのだ。
卑怯だ。
が、そうなるだろうし、そういうものだ。