MelancholyDampirの日記

ウツな人の独り言

春の小川はどうだ


↑ご自由に劣りください

北海道の春は足音がでかい。
耳をすまさなくても聞こえる。
雪が溶けて川となって山を下り谷を走る♪のだ。

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川は氾濫寸前で、子供たちは川にはまず近づかない。
小川も一級河川ばりにドウドウと流れる。
私見で経験だが「小川」というヒトは小人物か大人物かどっちかである。

知人友人の小川さんは、各方面で活躍している。
細かいことは気にせず、ある意味暑苦しく動き回っている。
外国人にNOとしか言わないタイプが多い気がする。

娘の担任は小川先生だが、こちらは小人物。
授業が遅く、掃除や決め事には口うるさい。
ハゲとかデブとか言わずに、黙っていても禿げて太るタイプだろうと思う。
美術専攻の教員は痛々しい。
オフの芸術作業を本業としたいのだが、そこに専念する度胸がない。
そして、他の教科には疎い。
ボクは、美術とか体育にも塾があって良いと思う。
国算社理英語には塾が多い。
こちらも、だまっていたって、ダメはダメだし、できるヒトはできるのだ。
美術や体育は、コレは天性がある。
そして、実は後天的にもどうにでもなる。
ウツ人だから、といって何もできないわけではないのと同じだ。
絵の描き方はない!と言われるが「評価されやすい描き方」というのは確固として存在する。
美大の入試でなぜデッサンがあるか、が端的である。
何でも斜めから描く。
陰はアクセント良く描く。
鉛筆で塗り、消しゴムで描く。
ヒトの顔にも描き方がある。
得手不得手は言い訳でしかないのだ。
ボクは絵が苦手だが、好きにはなった。
うまくはない。

娘は絵が苦手だが、ボクの方法で好きになった。
別に自慢しない。
傍目にはそうでもないからだ。
息子は大量生産・大量廃棄である。
バブルのようなお絵描きはしないで欲しい。
白紙はきっちり埋めてから次に行って欲しい。
「チンチン」とでかく描いて余白たっぷりに捨てる。
ヘラヘラと捨てるのでは、便所の紙以下だ。
製紙会社に申し訳がない。


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今日は、通院と出社をした。今後は見ず知らずのよろず相談で一日が終りそうだ。
小川のようにサラサラしていない。
サラサラカレーは消えうせろ。
コクも香りもドーンと大盛りの毎日だ。

小川という名で「自分は大したことがない」と思うヒトは嘆くなかれ。
器はだれにでもあるのだ。
それに水を容れているかいないかの違いだけだ。
誰でそう。
ここまで、と思った時点で、限界を決め、可能性は去っていくのだ。

毒を喰らわば皿まで!そういう向こう見ずを、可能性は好む。
もっとも、皿を食う前に毒が廻っているのだが。