MelancholyDampirの日記

ウツな人の独り言

ディソルディアー~適応障害とか学習障害とか

何も参考にしないで書くので、怪しいところは調べて欲しい。

精神科では精神病を扱う。
躁うつ病統合失調症が2大病とされる。
大まかには2種類しかない、とされる。

躁うつ病は、感情の振れ幅が大きすぎる病。
感情が昂ぶると、衝動的になり、理性では抗しきれなくなる。
感情が落ち込むと、死んでしまう、くらい凹む。
実際に完全な死へと向かう。
メッセージは出さない。
社会人というものは、中庸=一般的な感情=常識の範囲での節度ある行動が求められる。
躁うつ病になると、コレがない、というか判らない。
重度になると隔離する。つまり入院。
入院とは、法的には本人の生命と身体の「保護措置」である。
入院したくないのにする。
入院したいのにできない。
この差異は「本人の自覚」にある。
『死にたくて涙が出るんです』と訴えても、マトモな医師ならとりあわない。
躁うつ病の、うつ症状的行動(エピソードと云う)は、キレるようなもので手に負えない。
本人には自覚がない。
どんなに楽しいことでも悲観的にしかならない。

統合失調については、かつては分裂病と言われており、差別的だということで呼称が変わった。
実際はどうでもいいことである。
自己の感情と行動が分断、分裂している、そういう意味だ。
感情と行動とが、一般的な範囲に統合されない、同じ意味だ。
周りを巻き込む、境界性(自己と他者の区別がない)の障害とは厳格に区別される。

トーシツとか糖質などと揶揄したり、自称も多いが、実数はそれほど多くない。
ネットで騒いでいるのは、中二病であり、浅い間違った心理を晒したいだけだ。
統合失調の殆どは、適応障害や行動障害の範囲で、治療が可能なものだ。
(治療は後述する。)
統合失調は、精神科一般の投薬やカウンセリングが無効なことが多い。
どうしても、分裂あるいは統合失調になったエピソードまでさかのぼらないとならない。
そこで躁うつ病と同様に、投薬で様子を見ることになる。
入院させるほどの失調と云うのは「専門家からみれば」少ないのだ。
統合失調は、周りを振り回し巻き込むことも多い。
空気が読めない、とか、自分本位だ、とか言われる。
しかし、本人には自覚がない。
自覚や常識以前に、何が道徳的か善悪かの基準が曖昧なのだ。
正義と思えば悪も辞さない。
泥棒を捕まえて殴り殺すとか、元恋人のDVな交際相手を監禁するとか。
意味不明な言動やブツブツという独り言やカンモク(だんまり)も特徴と言われる。
自閉症と混同されるが、統合失調も自分の行動が否定されると「こもる」ので見誤るかも知れない。

2大病の特徴は「何かのせいにしない・できない」と云う点である。
社会に文句を言ったり、誰か自分以外の人間関係に原因を求めるうちは精神は正常である。
誇大妄想、被害妄想、自己陶酔、自己正当化、そういうのは心理的欠陥であり病気ではない。

イメージ 1


さて、適応障害は「環境」が原因にされやすく、カウンセリングをしたりする。
時には本人の性情まで問題にする。やはりカウンセリングで誘導しようとする。
一定の効果はあるが、好転はしない。
理由は、神経系統、特に脳神経や脳生理学の疾病だからである。
あるイベントがある、それに対応できなくなる。
適応きていない、とされる。
脳の中では、正常の神経伝達がされているが、これが狂ってしまう。
実際は、適応できる範囲外のことであり、無理強いはできない。
ところが、アレルギーと同じで「一定を超えると発症する」と誤解される。
だから静養させたりする。
問題を先延ばしにして、圧ばかりかけることと同じだ。

学習障害は、これは完全に脳生理学の問題である。
トラウマがあって・・・環境が悪くて・・は笑止である。
遺伝でも一定の障害が出る。
学習障害の親は、やはり学習について特殊な思考をもっているのだ。
親にも子にも責任はない。
そういう考えの脳になっていることが問題である。
なぜ判らないのか?なぜ判らないということを表現できないのか?
『うちのはLDだから・・』
そうではなく、親のあなたが自身がLDなのだ。
そして、あなたもどうにもできない。
差し当たりカウンセリングでは何もならない。

治療は難しい。
方法ではなく、一般には、経済的に難しい。
脳の血流をスキャンして、特徴的な流れを探す。
神経パルスをスキャンして、どこの連合野がどの行動で動くか詳細に検査する。
実に独特であるらしい。
ウツのように、脳への神経伝達が「うまくいかない」という単純さではないのだ。
勉強のある場面と、食事の最中とか、明らかに別のもので同じ脳の行動が見られると云う。
問題を見せたら、夢中で読む、そして急に口数が減り、パニックになって動き回る。
算数と国語だけとか、そういうものではない。
LD、学習障害とは、精神医学でも環境遺伝でもないのだ。

イメージ 2


人格障害とか、依存症とか、とにかく多種多様の病名がある。
殆どは、病ではなく、精神や心療内科の範囲ですらない。
ヒステリーとかパニック、アレルギーで説明がつく分野で、治療が可能だ。
投薬より、食事と睡眠。
カウンセリングより、ヒトとの会話。

投薬と通院によって、結果として、寝てばかりいてヒトを遠ざけるのでは負の逆転である。
精神医療が問題視されるのは、いつもココである。
二時間待ち、一分問診、薬を出しておしまい。また来週。
医師自身が「マニュアル依存」になったおり、実際にマニュアル対応しないとさばけない実情。
ICDやDSMが改定されるたびに、天文学的な金額が動く。
理由は、病になるかならないかで、薬を出せるか出せないか、入院が可能か否か。
官庁の予算折衝や製薬の販売まで、きりがない。
そもそも外科や内科と違い、
問診では金が取れない精神科では「病院経営」の理由が一番のネックだ。

そろそろ待望のDSM-Ⅴが出る。
WHOのICDと、アメリカ精神医学誘導のDSMを統合するという試み。
ブラックジョークだが・・


統合失調になる気がする。