MelancholyDampirの日記

ウツな人の独り言

80メートルの徒競走

運動会だった。
 
娘は足が速くない。
むしろ遅い。
 
義父が孫可愛さに「俊足」なるシューズを買っている。
毎年、俊足で最後にゴール。
弘法(こうほう)は靴を選ばず、だろうが、選びきってビリ。
わかりやすい。
清々しい。
ボクは応援だけしていれば良いのだ。
他の子達を見る余裕すらある。
走り方が皆同じだ。
何かのHOW TOだろう。
体育の塾もある。
親のほうが必死だ。
どの子も必死に走っている。
親のためではなく、走っている、そうあって欲しい。
 
誰かに勝ちたいのか、自分が一番になりたいのか。
2番じゃダメなのか?
ダメなのだ。
大人同士が競争を避けて「手をつないで」いるのは良いとして、
差し当たり、子どもは競争していればいいのだ。
悔しがって、己を責めて泣いていればいいのだ。
順位は必ずつくのだ。
どんなに頑張ってもダメなものはダメ。
「頑張った過程が大切」
負ければゼロだ。
参加が、頑張ることが・・
そういうのは言い訳とか正当化というのだ。
勝ち負けを受け入れる、まずそこが大切だ。
勝者はおごらず、敗者は腐らず。
これも大切だ。
 
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やった一位だぁ!!
子どもが嬉しくて手を振っているのに、子を見ない父親。
一位だよな?と周囲の友人と話しながらビデオチェックをするオヤジ。
腹が立ったので、そのオヤジの顔つかんでを子どもに向けた。
オヤジはもっと腹を立てた。
見にもいかず、携帯端末をいじる母親。
『誰もあんたの登場も返事も待ってない!』
と大声で何度も言う。
やっといじるのをやめた。
孫の番になると、周りに座れとうるさく言うババジジ。
『来年は死んでるかもしれないからなぁ』と義父と笑う。
大人しくなった。
孫の晴れ舞台くらい大人しくしろ。
主役は子どもなのだ。
お前らじゃない。
 
何かを徹底的に教えられたような、開会閉会の式。
教員というのは、戦争に大反対しながら、礼式とか行進を重んじる。
走ることより、その後のマナーがどうのと言う。
下郎め。
大人こそ、教育者こそ、本気で競争しろ。
負けたら死ぬ。
その場で死ぬしかない。
そういう「場」こそ子どもには必要だ。
 
娘は全力でビリだった。
写真も何も撮らない。
後でどうだったかは鮮明に記憶している。
笑って迎え入れる。
 
競技は競争でよい。
終ったら、ただの子ども。
皆が宝。