病棟
親戚が通院している。
入院もしている。
歳をとれば一病息災。
故障した車ほど大切に乗る。
運転に気をつける。
人も同じ。
どこかに不安があり、爆弾や地雷を持っている。
進んで爆発させる人はいない。
慎重に慎重に生きる。
大切に生きる。
何となく・・は一秒だってない。
具体的に生きる。
今日見舞った病棟は、入退院が激しかった。
親戚は眼科のはずが、その病棟は内疾患の婦人科専門であった。
病院嫌いのボクが感じた「居心地の良さ」はそういうことか。
患者の周りは、笑いが絶えない。
どうしようもないと、人は笑う。
やるべきことは全てした。
他人に任せられることもない。
代わって貰う事も、替わって差し上げることも叶わない。
だから笑う。皆笑う。
見舞いの家族や友人だけが深刻そうにしている。
お笑いだ。
泣いたって怒ったって、もうすべきことはないのだ。
当たり前を積み重ねる。
当たり前と云う名の、奇跡。
起こす奇跡、起こされる奇跡。
そして、やはり起こらない奇跡。
奇跡は起こらないから「奇」がつくのだ。
暑いから窓を空ける。
風が入れば気持ちが良いと言う。
毎日を胸いっぱいに吸い込む。
がん・・か・・。
どうしたって治せないものは、受け入れるしかない。
人は選べる立場にないのだ。
乳がん、子宮頸がん・・。
女性だけがかかるなんて理不尽だ。
そう思いながら、笑うしかない。
笑っていれば、同じ時間を感じることができる・・・そう思いたい。
笑って過ごす。
そうやって1年、また1年を過ごした。
数えてはいない。
1年は365日ではない。
数字ではないのだ。
『また明日』
『明日は何をしようか』
そういう当たり前が、出ない。
喉に引っかかる。
言葉として吐くことも、飲み込むこともできない。
だから笑う。