精神系のためのボランティア
統合失調と言う。
精神分裂と称されていた。
精神病は、ソウウツとブンレツに二分されており、今も大勢は変わらない。
神経症は、ヒステリーやパニックというありふれたものに、類型化していく。
深刻に考えているのは本人ばかりで、医療現場としてはありふれている。
発作でどんなに死にそうになっても、パニックの典型になることはしばしば。
記憶障害や多重人格もヒステリーに区分される。
5月か遅くとも6月にはDSMが4から5に改定になった。
神経症という区分は使わなくなり(使わなくした)、対症療法に拍車がかかった。
アメリカは悪く言えば、症状を類型化しすぎて、増やしすぎる。
国民は一人一人、遍く世界で随一という思惑。
だから、こんなにDSMがマニュアル化し複雑になった。
医師はDSMを引けば、医師でなくとも診察できるようになった。
薬は、症状ごとに出されるから、食の減退と不眠と倦怠と意欲の低下があれば4種出る。
効果が顕著でなければ増える。
胃薬もでる。食欲は減る。
結果として半年もすれば、動けない慢性疲労の患者になる。
イギリスではデビットクラーク氏が「精神に限らず、
心身の相談診療所は必ず町に一箇所」として奏効した。
精神科のみで大量処方されて、薬漬けになる患者は激減した。
文通したところによると(恐らく本人の返事ではないだろうが)、
日本は、なんでもかんでもアメリカのマネをしすぎるとの旨。
さて、
ボクのボランティアも、寝たきりの痴呆?老人の監視から、ずれてきた。
学習障害の若者から、統合失調の世話まで出てきた。
元々がケースワーカーや、福祉アドバイザーの応援だったから、なんでもアリな気がする。
できることをする。
ウツ人として何ができるか、何ができないかを、自分に問うても埒がない。
周りから自分の輪郭を出すと、以外に「話をきく」だけが特技だったりする。
そして、聞くことと、反芻こそが最高のカウンセリングだったと知る。
統合失調の男性は、すっかり薬漬けで、ソレが嫌で通院もしない始末。
部屋を片付けて、日光を入れると狂乱した。
暴れるのだが、ボクのほうが粗暴なので仕方ない。
言動は不可解というのは偏見で、その辺のおばちゃんの話の方が脈絡がない。
『ちょっと・・・矢口騒動っていえば、あんた選挙どうする?』
『あぁ、夕食は魚ってどうかな?』
こういうほうが難解である。
男性は、妻と別れて、生保を断り引きこもっている。
おそらく何でも知っているから、引きこもってはいないのである。
社会に一切興味がなく、興味がなくて生きていられる・・そういうわがままではないのだ。
政治から医療の現在、話が通院のところでパニックになる。
奥さんを深夜に呼び出す。
早朝まで話し込み、午前中に奥さんが来て、ボクは外して帰ると、随分といい。
つまりは、信頼できる相手と話したい、それが一つであったのだ。
奥さんも交えて、投薬について説明をして、結論を待つ。
病院を替えずに「薬について突っ込んだ説明を求める」ということになる。
通院すると、あっけなく薬は減った。
そもそも、分裂病時代の万能薬なんかを出しているから、副作用がでかいのだ。
離職や医療福祉についての、役所への各申請書は、ボクも少し知っているが、無資格ではできない。
書士とコーディネーターに連絡させてオシマイ。
やり取りを聞いていると、「あぁこの人は仕事ができすぎたのだ・・」と思う。
役所の一手先を読んで話をしている様子。
男性からはたまにメールが来る。
作業所ではレベルが低すぎてつまらないから、医療の事務をしているらしい。
生活と通院の相談も来る。
『私は、また妻とは再婚できるのかな?』
離婚しても再婚はできる。
再婚の大半はソレですと教える。
ただ、それはボクがボランティアではできない、とこたえた。