MelancholyDampirの日記

ウツな人の独り言

訪問者に申し訳ない

いつも、何か薬代わりを・・と考えるが書けない。
ブログをはじめて長い。
どうにか7年も書いている。
8年目。
大抵は「一見さん」であり、つまらないから去っていく。
ボクが趣味と頭の中のゴミ捨て、ガス抜きにやっている「つまらない店」であるからだ。
常連はありがたい。
常連がいると鄙びた店でもやっていけると聞く。
常連様、いや友人に感謝である。
ここの友人とは字面だけでやり取りしているが、顔までもが見えてくることも多い。
考え方や人となりがにじみ出てくる。
そういうのに一喜一憂している。
初期はウツ人やメンタルは、まだまだ変人扱いで、コメントで押しつぶされた時期もあった。
今は、少しだけ変わってきた。
正面から受け止めながら、どこかで流している。
ウツ人であり、ウツ人らしからぬ部分も多くなってきた。
それも諸行無常である。仕方ない。
 
初期は質問攻めだった。
ボクも生粋のウツ人で、他者などお構いナシだった。
なぜ利口ぶるのか?なぜ批判的なのか?なぜきつい物言いなのか?
馬鹿だから、せめて利口ぶるのだ。悪いか。
批判的なのは、自分に自信がないからだ。不甲斐なさ、無力さを他者に転嫁して逃げたいのだ。
きつい物言いは、きつく書くからだ。
個人の受け止め方もあろう。
ボクは変わるにも、変われないのだ。
根っこを変えれば、幹は枯れるし、葉も落ちる。
・・・
基本的に変わっていないなぁ。
ただ、他人などどうなっても良い、と思ったことは一度もない。
ココを通っていったウツ人たちの多くは「卒病」した。
ウツ人であることすら忘れて、あるいは忘れたフリをして生きていると思う。
嬉しいことだ。
ウツなんてなるもんじゃない。
なったからと云って、すぐに死ぬこともない。
ここの友人でも、亡くなったという噂もあり、事実だった方もいる。
それの善悪を論じる立場にボクはいない。
良く頑張った。そう思う。
頑張って頑張って、どう手を伸ばしても、あの頃の自分には全く手が届かない。
あの頃の自分は、別人であり、別人と思う自分が悲しくなり切なくなり、怒りは自分に牙を剥く。
生きていること自体が辛くなる。
生きていくことは辛いのだ。辛いからこそ、死が寄り添ってきて言葉巧みに捕えるのだ。
 
生きて欲しい、それだけは思う。
大変だったね・・・そうやって笑える日、一日でもそういう日ががあればそれでいいのだ。
ウツ人になりたがるヒトがいる。
統合失調や恐怖神経・・解離まで演じるヒトがいる。
そんなに、メンタルの世界は甘くないし、命を賭けるほどのものでもない。
命を賭けた時点で死ぬのだ。
出来レースに自分を放り込むことはない。
サボるために、調べて、医師や大切なヒトを騙してまでなれるもんじゃない。
自分が思うほど、ヒトは賢くないし馬鹿でもない。
その辺のいい加減さが愛しいのであり、不安の種でもある。
 
 
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友人が一人、長く暗いトンネルに居る。
ジメジメして空腹で、居心地は最悪だろうが出てこない。
きっとトンネルの外を知らないか、忘れようとして忘れてしまったのだろう。
ボクは待っている。
 
もう一人、おそらくボクと同じような「別病」だろうが気になる。
ボクからメッセージが来ないと言う。
メッセージなど出せない。
声をかけたら、ニコリとして、それっきり消えてしまいそうな表情と云うものはある。
軽く押したら、壊れそうな背中と云うものは存在する。
 
ボクは質問には余り答えない。
答えるだけの度胸がない。
答えはきっとウツ人おのおのが持っており、それを確認したいだけであろうから、答えない。
ボクは疑問もない。
生きているから、それで十分だから疑問がない。
 
ボクの文章は長い。
これでも、逆さになって頭を振って出た知恵で書いているのだ。
自分の文章が誰かを傷つけている。
どんなに頭を振ってみても、100人が納得する文章など書けない。
そういう自覚は常に持っている。
せめて、誰かの励みになっていて欲しい、と思う。
怒らせるのは簡単だ。
怒って傷つけて、気分が良くなるヒトは、生粋の変態以外にはいない。
だから少しでも笑えるように心掛ける。
笑いは最初で最後のクスリだ。
そう信じて、また細々と続けて生きたい。