MelancholyDampirの日記

ウツな人の独り言

怒るヒトとは

相手に対して「怒る」というのは、実は違う。
ボクはずっと怒られてきたので判る。
怒りを何種類かに分けて考察している本もあるが、アレは、ばかばかしい。
時間を返せと怒りたくなる。
感情からの怒り、積み重なった怒り、分別している暇がないから怒りなのだ。
それでも、何か理由があっての怒りと云うのは確かにある。
 
戦争や災害、事故での犠牲者への怒り。
他人であるが、理不尽さにわがことのように噴き上がる怒り。
 
これらはヒトの性根、来し方としての怒りである。
これらを、そんな他人事・・偽善・・と鼻で笑うヒトもいる。
怒るヒトの典型である。
以下の文はさらに「怒る」だろうから読まないことを勧める。
 
上司や同僚の怒り。
予定を違える・納期に遅れる・前例がない・○長がいないから・手際が悪い・・・
全ては、相手への怒りではなく、自分への保身と保険である。
怒っておけば、その分、自分の責任が軽くなると思っている。
自分に何も実害がなければ怒らない。
ところが、実害もないのに、有利にならない(得をしない)から怒るヒトもいる。
コレは病気であり、やれ私は呼ばれなかった、とか、その情報はオレは知らないとか云う主人公病である。
部下には、言うに事欠いて「生意気だ!口の利き方に・・」などと失言している。
生意気だ!と云うセリフは、「自分に勝ち得る部分を持つことへの嫉妬」である。
ジジイが若者に対して「生意気言うな!」と吠えているのは嫉妬である。
何をしても勝てるのは年齢しかない。
自分には年の功どころか亀の甲もない。
若者は、どうやっても自分より長生きするのである・・・最近の若者は生意気だ!と怒る。
年寄りの若い頃は誰も知らないから、仕方がない。
年寄りが横暴なのは、結局のところ掣肘する年長者がいないからである。
年長者なら仕方ない、となる。
ホームで90歳と80歳が暴れていて、まだら痴呆で大変だったと云う話がある。
『やめろよ、まだ若ぇえんだから・・』と振り向いたら102歳がいて、黙ったと云う。
じいさんばあさんがいつも笑顔なのは、怒る年長者がいないことへの安堵である。
怒っているじいさんばあさんは、身体がもはや言うことを聞かないことへの怒りである。
美味いものを食べるカネもなく、愚痴れる友人も居ない。薬を飲んだら満腹になる。これには救いがない。
若者の命を食いつぶして生きているのだから、「おかげさま」と思えないなら、怒って生きるしかない。
 
 
 
いつも何かに怒っているヒトもいる。
怒っているから、笑うことがなく、笑うときは他人の不幸、そう云うどん底の不幸者だ。
家庭や親戚縁者に飽き足らず、政治や経済、あらゆることに不満がある。ひとこと言いたい。
つまりは社会と云うヒトのつながり、構造への怒り。
 
『なんだこのバカ夫!自分を何様だと思っていやがる、てめぇの頭の中なんか子供以下だ!』
『まったく女はヒステリーだ!裸になったらオレが勝つに決まっているのに馬鹿な奴だ!』
『消費税が上がる?ふざけんな!福祉の方はどう考える!弱者を見捨てるのか!?』
 
こういう怒りは見るにも聞くにも堪えない。
怒っているのは、自分自身に対してなのだ。
バカ夫と暮らしているのは自分であり、他の男に選ばれなかった自分が腹立たしい。
女に怒られたら男の威厳が・・などと怒る男の前では誰も裸にならない、それを知っている自分への諦め。
社会のシステムに参加すらできない無力な自分への怒り。
政治が悪いのではなく、政治家を選び、あるいは選ばなかった自分が悪い、そのことへの怒り。
もっと言うと、政治に期待できない、社会は良くならない、と信じるしか逃げ道のない自分への怒り。
 
ウツ人の自殺もそうだ。
自死などとご大層な言い換えもあるが、結局自殺だ。
無力、無意味、無価値、あらゆる可能性に無をつけて、その清算と称して自らを殺す。
これに関してはボクは怒る。
生きることに怒っても良いが、自分を殺すことでそれまでの自分が生かされるほど、甘くはない。
このブログは酸っぱい笑いは提供するが、自殺の賛美は決してしない。
(とは言っても、止めるほどの力もない・・反省。)
 
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ここまで読んで、怒りでプチプチきていたら、もうボクとしては笑うしかない。
怒ることと笑うことは、つながっており、怒ることは相手を笑うことに等しい。
ボクが怒っているヒトの前で笑うクセがあるのは、怒りがそのヒト自身に向いているからだ。
 
ボクはテレビを観ない。
仕事で怒っているヒトに、わざわざテレビをつけて、そうだ!違う!などと怒っているほどヒマじゃない。
二時間の特番など、怒りを商品として笑わせようとするらしい。
笑うなら、自分のことを笑えば良い。
鏡を見れば良い。
怒るか、笑うしかないか、いずれかだ。