MelancholyDampirの日記

ウツな人の独り言

やなせたかしさん

故 と書かねばならないのであるが、寂しい。
そういうことを気にするヒトでもないだろう。
 
アンパンマンが有名。
登場人物でギネス記録も持つらしい。
ボクはリトルボオ、と、詩とメルヘンのイメージが強い。
(いつも通り資料を一切使わないので、誤字脱字、間違いはここで謝っておきます。)
 
リトルボオは、アンパンマン同様の空飛ぶメルヘンであり、ヒトを助け、愛を語る。
全身赤タイツで、ハットを目深にかぶった性別不明?の少年が、旅をして?いく。
?が多いのは、ボクの読みが浅いのと、?そこがやなせさんの狙いだろうと思うのからだ。
元々が天性の詩人であるから、イラストをどうこう言う気は全くない。
下手とか上手いとか、そういう領域のヒトじゃないのだ。
アンパンマンを「あんなものやったもん勝ちだ」と云うバカモノがいるが、嫉妬も救いようがない。
絵がどうのこうの言うのであれば、書いてみるといい。
「子どもでもお母さんでもお年寄りでも書ける」愛嬌のある温かいヒーロー。
書けないなら、最初から語るべきではない。
やなせさんは卓越した詩人である。
ボクは、教科書の詩人(中原さんとか宮澤さんとか)と同等か、上だと思っている。
漫画やアニメに対して、芸術性を認めないのは、ゲージツカの悪いところだ。
ウツ人に限らず、あの詩人の言葉たちに対して、何ら痛痒を感じない大人はいないと思う。
 
♪なにが きみの しあわせ なにをして よろこぶ
 わからないまま おわる そんなのは いやだ ♪
 
アンパンマンのテーマ。
軽快なテンポであるが、どう考えても子どもの歌詞ではない。
かつて子どもだった大人、あるいはヒトという存在への愛の賛歌であり挽歌でもある。
ボクはウツ初期のどん底で、娘の聞くアンパンマンが聞けなかった。
どれもこれも「子供向け」に巧妙に隠れて、生きる辛さを謳っていたからだ。
今は、幾分聞けるようにはなったが、それでも歌詞は辛い。
 
ヒーローと云うと、孤独で孤高、そして無敵、そういう時代があった。
負けたり傷ついたりはご法度だった。
アンパンマンは、命の顔を平気で見ず知らずに譲り、肝心なところでバイキンマンに負ける。
ダメだ、ヘロヘロだ、とジャムおじさんの助けを得ながらやっと勝つ。
敵や見方が曖昧で、昨日の敵が今日は友達、そんな線引きの曖昧な世界。
子供の憧れからは遠い。
そこがやなせさんの外せない想いで願いだったと思う。
 
イメージ 1
 
詩とメルヘン、は長く続いた雑誌で、氏のライフワークのひとつとも云うべき仕事だ。
絵本作家を育て、そして新たに見つける、採算は薄いから忘れられがちな大切な仕事、気の長い雑誌だ。
ボクの好きな葉祥明氏や味戸ケイコ女史も連載していた・・はず。
(他にも沢山いるのですが・・すみません、絵は浮かびますが名前が出ません。)
プロがプロを評価するのは、並みの仕事ではないと聞く。
詩人が詩人を評価するとき、どれほどの言葉たちが踊り狂うのか・・ボクは少し怖気づく。
やなせさんは、温かく辛辣に、絵と詩人を育て世に送り出した。
そして本人はその功績を大にして言わないのだ。
他人(子ども)からの評価を一番気にしていただろうから、
それを飛び越えての大人の評価は余り好きではなかったのだろう。
 
ボクは古いものが好きで、良く骨董屋やリサイクル店、雑品屋を覗く。
貧乏だし、貧乏性なので骨董の趣味はない。
もし入った骨董屋の店主が、オールドノリタケ古伊万里なんかを奥に飾っていたら即退散する。
古い水屋箪笥なんかが手入れもなしに「25万円」と置いてあっても退散する。
価値があるだろうから、高くなるだろう、だろうだろうという商売根性が嫌いだ。
「好きなんですよ、こういうの・・」とゴミみたいなのを好々爺が磨いている店だとホッとする。
やなせさんは、おそらくそういうヒトなんじゃないかなと想う。
陰では色んな美人を泣かせたりもしたろうが、なぁに、詩人はいい詩を書けばいいのだ。
『夜も現役アンパンチ!』などと書かれても、平然としていればいいのだ。
 
最近入った雑品屋でサトウハチロー氏の小皿が売っていた。
どこの家庭にもあった、ひとこと詩を書いて野菜が書いてあるアレだ。
やなせさんの食器も、子供の頃、沢山見た記憶がある。
「涙は今も流れているが・・」とか書いてあった気がする。
 
この小皿・・何で飾らないで、醤油なんかを入れてかんぴょう巻きをドボドボと?と
不思議に思ったものだ。
今は想う。
飾らなくても、そこら辺に詩人がいて、モノにも詩が溢れていただけだ。
 
魯山人の皿、武者小路実篤の皿。
使ったら価値が激減すると云う。
アンパンマンを書いたら価値がなくなるんだろうか。
どこで、どうやって狂って行くのだろうか。
詩人も芸術家も、用の美、ということを盛んに言っていた。
世俗にまぎれるほど、使われて馴染まなければならないと言った。
いつの時代も「大げさ」にしてしまうのは、関係のない物知りたちだ。
合掌。