女にもてない病
ボクは掃除が好きだ。
ヒマさえあれば片付けている。
ヒマが無くても片付けている。
ヒマをつくっては、片付けている。
ボクは怒らない、そう思われている。
確かに怒らない。
他人の言動 → 気に入らない(自分と異なる)腹が立つ → 怒る → 空気が不味くなる → 修正する
こういう一連の所作が「面倒くさい」のだ。
湧き上がった怒りを忘れられれば、何も起こらない怒らない。
ボクは「いらっときたら掃除」なのだ。
つまり、年中イライラしている。
もしくは苛立つことばかりで、結果として、掃除ばかりしている。
掃除をすると気持ちも片付く。
徹底して掃除すると、徹底して怒りなど封じられる、か、忘れられる。
が、中途半端に怒っておいて、ボクの陳謝を待っているヒトからすると、これではいかんようだ。
掃除や片付けばかりして、心から謝罪していない、と言う。
うるさい。
ここまで掃除しているのだ。
貴様も顔からなにから整理整頓してやるか。
なんなら存在自体の掃除をしてやろうか。
・・・という気迫は伝わるらしく、大抵、うやむやで免罪か無視される。
毎日掃除機をかける。
じゅうたんとか、すぐに汚くなるのでクリーナーで洗う。
台所にはしょっちゅう立っているから、油での「くもり」はすぐに目に付く。
水まわりに限らず、ナベ、フライパン、トング、ヤカン・・光るべきがくもっていると放っておけない。
料理や洗濯の合間を見て、磨く。ひたすらに磨く。
光ると嬉しい。
新聞で仕上げなどしていると、いつもありがとうと言いたくなる。
だから、くもっているものを見ると苛つく。
くもっていると、気持ちも曇る。
精神論ではなく、そういうものだ。
良く風水で、「光りものを曇らさない」とか「水まわりに貴金属」と云うのはそういうことだ。
曇りやすいところを光らせておく。
黄色や輝く貴金属が運気を呼ぶのではなく、曇らせないと云う心構え・了見を差しているのだ。
中国の成金(と呼ばれる・・)が成金趣味なのではなく、祀るべきはキンピカにするのだ。
儲かりたいからではなく、感謝して良く掃除するから光るのだ。
だからボクは女にもてない。
女は、まぁまぁ、とか大体とか適当を信条にしている。
そして、何か目的があったら方法論から入るのだ。
別に謗ってはいない。
脳のつくりの問題だけだ。
タンスの中から、トイレや汚物入れ、ガス台の下。
そういうところも素手で磨いていると「もういいじゃん!」「やめてよバカ!」となる。
隠したいのは判る。
隠しておけば曇るのだ。カビるのだ。腐るのだ。
汚いから近づかず放置して、悪循環になるのだ。
だからこその断捨離であるのだ。
断捨離とは、仏教(チベット密教)経典の中の、自らへの心構えの解釈である。
運気を呼んだり、邪気を払う、そういう目的で入るとダメなのだ。
考え方であり、生き方だ。
ね。
嫌な考え方でしょう。ボクは。