MelancholyDampirの日記

ウツな人の独り言

歴史とは今現在も変わるもの

忙しい。
時間は「自らつくって楽しむもの」らしいが、そういう甲斐性がない。
だから忙しい。あぁ・・時間が・・と思うとこの時間。
せっかちなくせに、次々とこなすくせに、やっぱりいつも時間がないのだ。
こういうのを忙しがりと云い、残念な性癖であるとボクも諦めている。
昨日は何を食べたっけ?
昨日のアレについては、何をどこに書いたっけ。
ボクが作っているのにボクが真っ先に忘れるのだ。
家族のほうが、きっと良く憶えている。
 
何日か前にNHKの会長だか社長の就任スピーチが新聞に載っていた。
面白そうなので切り抜いて日記に貼ってある。
ボクは、使えもしないのに、忘れるくせに、犬のように何でもとっておくのだ。
面白そう・・は面白くないことになりそうだ。
NHK会長だか社長だかへの、批判も賛同も殆ど「慰安婦」に向けられている。
民営放送もペーパー各誌も、同じようなベクトルだ。
現政権への阿諛追従が気に食わない。
公共の放送で何と云う不見識か!何と云う無知か!
NHKと云う国営放送トップへの物申す!ではない。
『そんなことをお前が言うなバカモノ』 と云う類である。
 
慰安婦と言えば耳に優しく・・もないが、つまりはパン○ン、兵隊の性への奉仕である。
オンリーさんもエブリーさんも慰安婦になるらしい。どうにも雑である。
それを未だに(今だから)国際舞台の場で首脳がヒソヒソ話合っているのだ。
慰安婦の件ですが、まだまだ出てきそうですが・・』
「だから、○宣言で二国間では解決したでしょう」
『二国間といっても、当時の国同士の、たまたま当事の情勢での、とりあえずの解決でしょう?』
「こちらで解決しても、そちらは解決していない、そういうことですか?」
・・・
歴史とは独りでは創れない、とつくづく思う。
慰安婦の良し悪しの話ではない。
良し悪しなど、終ったあとに、何か言える国の人間が言うことだ。
当事者自身はどうでもいい。
どうでもいいところに、「本当に忘れていいんですか?」と云う輩がいるから面倒になる。
慰安婦が、現在はおばあちゃんあり、感情移入しにくいのも原因である。
失礼は承知である。
第二次大戦では、性の奴隷になったのは、妙齢の女性もそうだが男の子も多い。
男の子は恐らく、そのまま兵士として物言わぬ身であろう。
いやいや、そういう例外(例外じゃないが)を出す気はないのだ。
慰安婦が薄倖の美少女なら、会見でもさぞ世論が高まり、政府も利用するか・・となるのだ。
残酷だがそうなのだ。
歴史の中で美女、悪女は必ず活躍し暗躍する。
慰安婦あがりの出自を、立身に使った女もいるし、使えなかった女もいる。
「私は美女」と思っているのは大抵はブサイクで、いくら歴史が悪戯好きでもブサイクは扱わない。
なんだ、ブサイクか・・・と兵士もチェンジしたり、タバコでも押し付けたりするから、後々まで憶えられる。
『主人は私を全然・・雑用くらいにしか思っていません!』
などと怒っている女がいるが、見るとやっぱりブサイクであり、長年連れ添った男に同情したりする。
 
こうやって書いていると、女性団体から妙なコメが入ったり、右翼からもコラァと言われたりする。
 
脱線。
 
辞めようが辞めまいが、NHKの会長だか社長も、歴史になるのだ。
今の政権も歴史の一部として機能しているのだ。
 
・ 民主から政権を取り返した勢いで、ドドドドォっと決めていきたい政権
・ NHKは国営放送と云う立場だから、ときの政権(社長)の方針にまさか文句は言えない、これは当然
  (朝鮮で○○○はブサイクかもぉ・・などと言おうものなら次の日には一族がサヨナラである)
  (文句を言える民主主義にバンザイである)
・ こういう一連のドキュメントは数十年後に何も歴史としては記憶されていない
  現代社会とかに 「自民党政権は法案可決、増税など強気な政策をし続けた」 と一文あるだけになる。
 
諸外国からは言われているだろう・・
ただ、あぁいう発言が「放送できたこと」が、この国の文化の低さではない。
あんなツイートなレベルで歴史観や文化認識を測られたらたまらん。
マスコミは言う。
『あのような・・首相が飲み会で同じような仲間と決めたものを・・・トップとして責任が・・』
バカモン!
殆どの重要なことは、オエラの飲みの席で決まるのだ。
シラフで人選や人事をしてみろ!
みんなクビになるじゃないか。
やはり・・何をどうやってもダメですね・・ってなるじゃないか。
誰が悪いわけでもないのに・・どうしてですけん・・って切なくなるじゃないか。
自分まで死にたくなるじゃないか。
同じような組織で、同じような「好き嫌い」の次元で物事など決まっているのだ。
昼間に理屈で負けても、夜には同じ理屈でOKが出たりする。
奇怪だが、一日の言葉や行動それら全てが繋がっていく、見えない「通った筋」と云うものなのだ。
理屈だけで、筋が通るか否かで、全てが決まるほど歴史は寛容じゃないのだ。
良し悪しなど歴史の解釈と同じ。
そのときそのときの価値観の匙加減で、微妙に決まっていくのだ。
 
NHK見なきゃいいだけじゃないか。
文句言いたさに、わざわざ調べる奴までいるから歪んでいる。
受信料も払わずに済む。
これからNHKは、受信料の徴収であの会見での文句を言われたら言えば良いのだ。
 
「あなた!アレ見てましたね!?」