MelancholyDampirの日記

ウツな人の独り言

ホワイトデイ

先日、とは言っても10日ほど前だ。
バスで街中まで出る用事があった。
デパートに入り、無印とかロフトなどを見た。
ボクは、雑多な感じの店舗が好きなのだ。
洋服売り場、とか贈答品コーナーとか、きっちり分けられると、欲しいものがあっても選べないのだ。
自分で勝手に見つけてホイ下さいな、と買う。
デパートではすぐに店員が来るから苦手なのだ。
無印やロフトはそういう意味で好きだ。
ハンズやビレッジバンガードも好きだが、ここにはハンズはない。
 
無印で、こういうのなら作れそうだ、とメモだけとって逃げる。
ロフトで、あぁホワイトデイだ、と気付く。
何か買っていい日だなぁと思う。
自分でぼんやりと見たかった筆記具については、この時点で記憶から消える。
 
何か贈る、という気持ちになることが嬉しい。
相手がどう思うだろう、なんてのは二の次だ。
ウツ人としての10年前なら、引きこもりで、暦やイベントは度外視どころか、目の前から消えていた。
何か買おうか、そういう気分がボクには嬉しい。
ただ、自分のために何か買う気には未だになれないのだ。
大切なヒトがいる。
何かあげたいと思う。
カネも甲斐性もない。
『なんにもいらないから・・』そう言われたり、そう言ってくれる事も判っていたりする。
だが、気持ちを伝えることがボクはとことんまで苦手なのだ。
自分の気持ちや感情を掘り下げていっても、なんか空っぽになっていそうなのだ。
「本当の気持ち」に辿りつく前に、そんな感情自体が最初からないことが怖いのだ。
だから、イベントにかこつけて何か買うというのは、実に照れ隠しや偽善行為に好都合なのだ。
 
妻子には欲しいものはないだろうことは知っている。
妻は、精神的に健康なボクを待っている。
娘は、いつもモノ以外に飢えている。
で・・財布も寂しかった。
ありったけの愛情と予算で選んで、ペンケースとカードケース。
 
ボクは、贈りものが大きければ、高価ならば、より愛情も深い、そう思っているふしがある。
こういう偏執は、表現が苦手かあるいは表現自体を知らないヒトに多いそうだ。
小さいビニールの包みを紙袋に入れてもらい、小さいなぁ・・と眺めながらバスで帰る。
夕方のバスで、学生や主婦も多く、ホワイトデイ!の紙袋は鬱陶しいくらいに目立った。
いいオッサンが・・といったところか。
まぁ気にしない。
 
その日のうちに渡してしまった。
贈りものを渡すのに何日も・・お楽しみに、と云うのが苦手なのだ。
妻子ともに戸惑っていた。
「バレンタインに何も・・」と言っていた。
いやいや、そういう貰ったからとか云うのじゃないのだ。
ただ、伝えたいだけ。
そして伝え方が判らないのだ。
 
昨日はデザート食べ放題に行ってきた。
これも、贈りものが少なかったから・・と云う偏執から出た行動である。
家族でいいだけ食べてきた。
美味しい嬉しい!とはしゃぐ妻子の姿をぼんやり眺めているうちに、ボクは腹が一杯になった。
 
ヒトはパンのみに生きるにあらず。
それはそうだが、パンもワインも必要だ。
太ったブタは見苦しいのだろうが、痩せたソクラテスも見苦しい。
屁理屈を聞かされるほど、ヒトは苛立ち、空腹にも堪える。
 
娘の机でペンケースを見つけた。
沢山入るからか、使ってくれているらしい。
妻は飾っている。
 
ホワイトデイ・・か。
北海道はまだ真っ白い雪が降っている。