MelancholyDampirの日記

ウツな人の独り言

高校受験

作業の合間に、昨日の問題を見ている。
北海道だから、差はある。

数学の問題は、裁量で随分と差が出るだろう。
三角形の回転から出来る範囲の求積問題。
「過去問」からの出題らしい。
こういうことを始めると、教える方はラクだが、
受験生は、射程範囲を拡げないとならない。
解法は、あくまで問題のための問題。
積分の考え方につながる解法でもない。
国語や数学に比べると、他は記憶や知識だけ。
知っているか否かで、岐路に立たされる。
理科で少し、裁量を感じるだけ。
英語は論外。
英語を頑張ろうともならないだろう。

差し当たり、解答例以外にも考え方がある。
そういう答えも用意しておかないとならない。

ボランティアの教え子は、天の邪鬼なのだ。
「解けるけど、判らないのが気持ち悪い」
そういう気持ちも、いつか忘れてしまうのだろうか。

恋愛でも良く聞く。
「なぜ好きになったのか判らない。」
理由を羅列できるうちは、ほだされているだけだ。
好きなら好きで良い。
そして、疑問を感じたときに、狂う寸前まで悩めば良い。
たったひとりで。
「あの人を一番知っているのは自分だと思った・・」
全ては思い込みだった、とゼロ以下に叩き落とされれば良い。
そして、また這い上がればいいのだ。
たったひとりで。

大人になると、感情論はバカにされる。
論理が優先され、感情は淘汰される。
条件の絞り込みと、結果の確実な予想が重宝される。
予測できない範囲は敬遠される。
条件が付くコトなど、大したことないのだ。
予測できないコトこそ、やってみるべきだ。

子供たちをそうやって導いている。
「判らなくても良い」と勘違いされている。
それでも良い。
判らない。はっきりと、そう認めることは実は勇気が要るのだ。