MelancholyDampirの日記

ウツな人の独り言

決断のとき

とても静かな心境だ。
今までの人間関係の喧騒が、今は明鏡止水とか感じない。
喜怒哀楽、仕事で培ったものが、一体なんだと言うのか。

ボクは変わってきたと思うし、これからも変わっていくだろう。
仕事の方は変わらなかった。
旧態を良しとし、変革を望まなかった。
改善を悪とし、慣習を善とした。
新しいことは、人も制度も、何ら容れるところがなかった。

ボクは変わり続けた。
変わらない、頑固だ、意地を張り過ぎている。
そういう評価はもう飽きた。
譲れない部分がない人間など、詰まりは、通すべき筋がないのだ。
彼らの仕事に対する考え方は、変わらなかった。
仕事と家族は切り離した。

ボクは、家族という土と水がなければ生きていけない。
仕事とは、家族と天秤にかけられるものではない。
家族に対するとき、仕事が重いのなら捨てれば良い。
そう肌で感じる。
肌で感じるのは、もう血の中にそういう考えがあったからだ。

今後は、何を糧とするかは判らない。
ただ、漠然とした可能性に身を投じるには、歳を取り過ぎた。
やりたいことの中で、できること。
大人になると、やりたいこととできることを区別する。
できることを仕事にし、やりたいことを趣味にする。
ボクはできない。
全てには関係があるのだ。
これはこれ、それはそれ、そんない切り替えはできない。

家族のために何ができるか。
自分は何ができるのか。

ウツ人としてのこの10年以上が、短いとは言えない。
10年あれば、赤ん坊は話し、学び、自立し考える。
大人が10年で何も変わらないはずはない。

ボクは、一歩を踏み出す時に来たようだ。
それがどんな転機になるかなど、考えていない。
当たり前の時間の中を歩いていると、歴史は無関係だと思われる。
違う。
自分と云う歴史を、自分が創っているのだ。
誰かの都合で、塗り替えさせはしない。

間違うにしても、どん底に落ちるにしても、自分で選ぶのが大人だ。
誰かのせいにして、毎日を嘆くのは子供時代で終わりだ。
まして、自分はダメだなど、自らにと言うのでは、情けない。

一歩ずつでも動くのだ。
動く処に、埃は積もらないしカビも生えない。
決めるのは自分だ。
基準は、その瞬間が幸せかどうか。
あと後の判断など、家族が決めれば良い。
笑い話にならない苦労などありはしないのだ。
生きていれば必ず笑える。
そう、きっと笑える。