MelancholyDampirの日記

ウツな人の独り言

あの世のモノ

3月になると駆け込み自殺者が増える。
年度内の決算だ。
5月は毎年、赤字覚悟のセール。
自殺者の大安売りだ。
と云うのは、ウツ人なりのウツ人への冗談だ。
3月は、勤め人なら、それまでの責任を全うしての覚悟。
5月は、勤め人なら、始まってしまった責任への覚悟。
主婦や学生、フリーなら、まだ理由もある。
未来への恐怖。人間への関係への恐怖。
自分への途方もない諦め。

暦がなければ、気付かない、時間と空間。
普段なら気付かない、この世のモノじゃないモノの視線。
吸い込まれるのだ。
あの、モノからの吸引。
ボクもかつてはそうだった。
今後は判らない。

子供の頃、ボール遊びをしていて、ボールが遠くのドブに落ちた。
側溝のずっと奥に転がっていき、ドブ板まで外さないとならなくなった。
手を伸ばすと、ボールと一緒に猫の亡骸。
子供たち皆で驚きながらも、納得した。
当時はまだいた野良犬も、雀も鳩も、トカゲも。
猫に限らず、野生は死に場所を選ぶ。
田園でも、死角を選ぶ。
住宅街でも、日陰を選ぶ。
思えば、ああいうところは、この世であって、あの世なのだ。
あの世がこの世に巣くうための、マヤカシに似た違和感。
道標。
結界。

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使われないU字溝や朽ちかけた物置。
誰も手にしない門扉や、バラ線があっても入れる無意味な小屋。
人混みでも、「そこ」はある。
自販機の裏や、駅のホームの端の方。
木漏れ日すら届かない不思議な空間と、思えばそこには不要なモノたち。
そこには、この世を受け入れながら拒む、温かい殺意が澱んでいる。
独特のモノが、門番をしているが、普段は気付かない。
自分が死に歩み寄り、あるいは絡め取られるようにして死に近づいたときに気付く。
あぁ、ここからあの世なのだ。
あの世でなくとも、少なくともこの世とは違う、どこか向こう側への 境界なのだと。

毎日見る、街角の景色。
懐かしい故郷の風景。
あそこにも、きっと無数にあるのだ。
あの世のモノ。
なんであんな処で、あんなことを・・。
囁かれるたびに思う。
あんな処だからだ。

死に近づける時間と空間と云うのは存在する。
ウツ人なら誰でも知っている。
モノと物の違い。
あの世のモノを通り抜けたときの、絶望と恍惚。
矛盾が矛盾ではなくなる逢魔が時
知りたくないけど吸い込まれる。
吸い込まれてしまう。
今日も明日も、吸い込まれるヒトが居なければ良いと思う。
あのモノたちの向こう側から、戻ってきて欲しいと、心底願う。