MelancholyDampirの日記

ウツな人の独り言

ブログ記念日

このブログも10年目に入った。
長らくのファンも、浅いファンも、色々といらっしゃるだろう。
ボクは、来るもの拒まず、去るもの追わず。
ずっと同じ目線である。
ウツ人に限らず、ささやかな毒と笑いを求めるなら、どこまでも寄り添いたいと思っている。
ウツ人が「治ったようだからもう来ません」とコメをくれるなら、無上の喜びだ。
藁にもすがる思いなら、どうか藁にでも薬にでもすがって欲しい。
基本、のたうちまわりながらも、どうにか生きているヒト向けへのブログなのだ。
どうか宜しくお願いします。

ココを始めた当初は、どうにか誰かと繋がろうと必死だった。
友達がいないのにスマホを買い、ラインを繋いだ中学生のような気分だったと思う。
あちこちを訪問し、毒を吐いては、出入り禁止になっていた。
コメント無用の記事に、コメントしたりしていた。
何とかして、気に留めてもらいたいと思った。
コレも中学生のようである。
しつこく、陰気で、脂っぽく、嫌味っぽいのである。
嫌い、と言われても、意識しているじゃないか、と、くっついていく。
繋がりに関しては、野犬以下の空腹だったのである。
ボク自身、もてない青少年だったので、嫌われても気付けない性だったのだ。
今も大して変わらない。

変わったことと言えば、歳のせいで、あっさりしてきた。
繋がりに関しては特にそうで、無視されようが、嫌われようが、何ら変わらない。
幼少から、酷く嫌われると益々ジーン・・と来る・・救いのない性だった。
裏切り、嫉妬、ほれたはれた、殺した殺された、そういうのが身近だと、仕方なかった。
殺されそうになった、と云うのはボクの周囲は意外にごろごろしており、
ボク自身も、今だにトラウマだが、少なくない。
何も得たものはないが、未だに「凄まれて怒鳴られて、殴られても笑顔」はクセである。
ニヤニヤしているのが、一番相手を逆なでするのに治らない。
まぁこれは悪癖だ。治らない。
ブログの途中で、死に至った友人も、悔しいが少なくない。
まったく悔しい。
羨ましかった時期もある。
救いがない。
悔しがっても、無駄なのは判る。
しかし、「あそこでどうにかすれば、どうにかできたかも知れない」と悔いは残る。
いつか、オフ会でもやって、バカやアホで盛り上がるのも楽しいかも知れないのだ。
先にあの世で盛り上がっていると思うと、全く、早死にが待ち遠しくなる。
と、いう気持ちも薄らいでいる、と感じる。
ウツ人の向こう側には何もないが、何か見えてきた気もしない。

イメージ 1

ウツ人には救いはない。
どこまでもない。
ウツ人に救いがあるとするなら、自身を蔑み切ったその向こうに、微かな生が見えるくらいだ。
そんな生は見る必要もないのだ。
目の前に、確かな生や幸福が感じられれば、それ以上なんて要らないのだ。
なのに・・。
ヒトと比較すれば死にたくなり、モノを見れば鬱陶しくなる。
家族や友人、どこまでも追いかけてくる繋がりを、どうしても切り捨てたくなる。
そして、孤独には堪えられないのだ。
独りなら、恋人とか友人が欲しくなり、少しの差異で逆上する。
自分で求めて自分で傷つける。
捨てたいくせに、捨てられるのが大嫌いだ。と言うか恐怖である。
恐怖症や神経症、解離や境界もひっくるめてウツ人と書いているのはそういうことだ。
ウツ人の欲望は、枯れ切って、荒み切っている。
何を得ても、どこまで捨てても、満足しない。
それは、欲望自体がないからだ。
あるのは、厭世と自己嫌悪、そこに来る絶望。
死が常に仲良しなのも、仕方がない。
こっちの地平~此岸に生きる場所がないのだ。
だからと言って、彼岸には行けない。
・・・
否、彼岸に行ってしまっては帰ってらこれないのだ。
ボク自身、何度も友人知人の死を疑って呪ったが、誰も帰ってこない。
死は死なのだ。
死を死ぬことはできても、生を死ぬことはできない。

この歳になって変わったこと。
思うこと。
ねぇなぁ・・・
あるとすれば、何かの拍子に、生かされていると思うことだ。
それを、余計な・・と思うか、うーん・・・と思うかは、その日の気分にもよるだろう。
ボクは、あのとき死んでいた、と思い出す度に、なぜ?と思うようになった。
死ねなかったか、ではなく、生きていたのか。
ボクは宗教も神にも、全くの無頓着だが、思う。
少なくとも、ウツ人にとっての今日も明日も、儲けものだ。
誰かのおこぼれで生きているのだ。
昨日とか明日とか明後日とか、決してそれは自分の時間ではないのだ。
ウツ人の誰かが、遺していった時間。

もし、明日も明後日も生きていて、残酷だと思うなら、思い出して欲しい。
その日を生きられなかったウツ人がいる。
恩で返す必要はない。
そこまでの智者も徳者もここには来ないだろう。
仇で返せ。
「今日も生きてやる」
「おまけに明日も生きてやる」
それが、先に彼岸にいるウツ人たちへの、一番の功徳であり、冒涜である。
ボクは、まだ生きてやる。