MelancholyDampirの日記

ウツな人の独り言

つぶしや

行く店には気を遣う。
なるべく、自分の中で印象付けないようにしている。
スーパーとかコンビニ、これには気を遣わない。
不特定多数が行くし、先行きに不安は少ないからだ。
行く店には、ボクなりに気を遣う。
良い雰囲気だ、とか、近いうちにまた来よう、と思ってもやめる。
思い留まるようにしている。

最初は、行く店が、いちいち定休日とかで済んだ。
運が悪いのだ、くらいの自覚で済んだ。
それでも、家族で向かう先々で、定休日が重なる。
どうにも居心地が悪くなる。
パン屋とか本屋とか、定休日が決まっている店は多い。
よりによって行った日が休みだった、で済ますようにしていた。
二軒目も休みでも、仕方ないと思っていた。
この頃は、家族から、「定休日男」と揶揄されるくらいで済んだ。


数年前から、いやもっと前から、定休日以外の「休み」を引き当てることが気になりだした。

「店主急病のためお休みします」

このときは妻もゲラゲラ笑っていた。
久しぶりにランチなど・・と思ったからだ。

「店内改装のためお休みします」

窓越しには改装の気配はなく、どうにも怪しい
で、改装の張り紙がなくなったなぁ、と気づいた頃、店の看板も消えている。

「移転します」

で、移転先なんぞは、どこにも書いていない。
窓越しには、あらかた運び出したような気配しかない。
やがて看板もなくなり、どこに移転したのかさえ判らなくなる。

「店主、修行のため外国に行っており・・」

なんで外国に行くのか。
ボクに来させないための、苦しい言い訳としか思えない。
そろそろ帰ってきたかなぁ、などと気安く確かめられない。
怖くて行けない。

家族はボクを「閉店男」と呼ぶようになった。

こういうことが重なると、ボクでも不安になる。
ボクが悪いんじゃないだろうか、と気分が重くなる。
自然、一軒家を構えた店から足が遠のく。
茶店とか、定食屋とか、コンビニより「危険な香り」のする店には近づかないようになる。


友人達も、その辺は心得ていて、長年繁盛している店に連れていってくれる。
いつも常連で賑わっていて、ボクのような「一見」なんぞ関係ない、そういう店を温めていてくれる。
「急に!?なんで!?」といったアクシデントを防ぐためだ。
で、行ってみたりする。

「45年にわたりご愛顧を賜りましたが、この度・・」
なんて張り紙がある。
友人も絶句である。
『先週は、普通にやっていたんだ!』などと叫ぶ。
ボクはうなだれるしかない。
ごめん・・と呟くしかない。
もう、ボクの向かう先、呪いだけなのだ。
何十年の伝統だとか関係ないのだ。
流行り廃りを飛び越えて、廃りだけをドーンと引いて持ってきてしまう星回りなのだ。
ごめんよ、店のおじちゃんおばちゃん。
ボクが行ったばっかりに、あるいは、ボクが行こうとしたばっかりに。

最近は、以前行っていた温泉に家族で向かった。
温泉が「自主休業」していた。
周囲もゴーストタウンと化し、灰色の景色に夕闇が迫っていた。
子供らは怯えて、早くここから離れてくれ、と懇願した。
娘は寒気がするとか、頭が痛いとか言い出した。
ホラーまで混じってきた。

もうこうなると、手当たり次第である。
近くのコンビニはなくなる。
自販機もなくなる。
床屋は夜逃げする。
茶店は消える。
駅前のデパートがなくなる。
スーパーのワンフロアが、ぶち抜きガランとする。
バス停が移転する。
バス路線が見直される。
・・・
家族も、ボクを「つぶし屋」と呼んで敬遠するようになった。
妻と娘は、お気に入りの100均や本屋には、二人きりで出かけてゆく。
寂しいが、それが最良の策だろうと思う。

そのうち空港や駅までなくなるんじゃないかと、本気で思い出した。
だから公共機関は極力使わないようにしている。
「消えゆく北海道の地方路線~存続か廃線か」
テレビでの特集が、どうにも他人事に思えない。
テレビの前で深々と頭を下げる。
ごめん・・・

ここ一年くらい、義父が体調を崩し、入退院を繰り返していた。
見舞いに行くと、高い頻度で同室の顔ぶれが変わる。
義父が呟く。

『向かいのおじさんよぉ・・元気だったべ?・・』

その時には強く思った。
見舞いもやめよう。

「つぶしや」ぐらいがボクに堪えられる限界だ。
ころしや、にはなりたくない。