MelancholyDampirの日記

ウツな人の独り言

ADHDとかASDとか

自閉症と言い、高次機能障害と言い、アスペルガーと言う。
外出可能な引きこもりと言い、社交性のある会話下手と言う。
知能の高い発達障害と言い、幼児性の強い大人と言う。

DSMⅣでは何となくでくくっていたが、Ⅴになると本格的に分類された。
・プライドが高く自己愛が強く他者からの批判反論に攻撃的なヒト
・自己評価が低くなりがちで他者承認を病的に求めるヒト
・どんな話題にも付いていけてどんな人間にも付き合える度量を持っているヒト

あえて言おう。
まやかしであると。

社会では、未だにウツ人と同じ、大きな「メンタル」と云うラベルの引き出しに放りこまれている。
結果、同じような病院で一緒になり、同じような枠で働き、同じようなレベルを要求される。

あえて言おう。
ウツ人と彼らは異なる。
進化前から違うサルであると。

ウツ人とは、一度は壊れた車である。
故障個所を修理しながら、気を付けながら、
だましながら乗らなければならない、そういう車。
無理は禁忌だし、空白を取り戻す気概は、決して持ってはいけない。
あの頃、と同じエンジンではないのだ。
ブレーキは早めに、アクセルは控えめに。
まだまだ動ける。大事に乗って欲しい。

彼らは、車ではない。
バイクでも船でも飛行機でもない。
そもそも故障しない。していない。
故障という概念がない。
社会的に何が不適合なのか、その判断基準を持たない。
何をすれば悪なのか、なにをすれば善なのか、そもそも相対的な考え方がない。
これは恐ろしいことだと感じる。
欲しいおもちゃを前にした子ども、そういうヒトたち。
取り上げれば怒り、説得すれば凹む。凹んだふりをする。
善悪の基準を養わないまま、なんとなく社会常識をテスト問題のように憶えていく。
常識の輪郭が整わないまま、学生になり社会人になり、家庭を得ようとする。
社会に出たところ、家庭を求めたところで、彼らはつまずく。
最低限持っているべき礼儀作法、居振る舞い、愛の重さと熱さ、悲しみの温かさ憎しみの冷たさ。
そういう「ふるい」を通れないことに憤る。
なぜ!どうして!と大多数に同情を乞う。
同情の求め方は幼稚だが天才的だ。
なぜなら相手の気持ちが全く判らないからだ。
ひたすらに自らを責め、世の中を憐れみ、自分の罪を呪う。
どこまでも、自分だけの劇場の中、そこだけで生き抜いている。

ウツ人は、彼ら(大抵は一人だ)の世界に引きずり込まれ、愚弄され、廃棄される。
メンタルと云う大きなくくりの中で。
彼らも可哀そうな、救える魂の持ち主、そう信じて。
今日も、靴も脱がない、泥のついた足で踏みつけられる。

ウツ人よ、逃げろ。
彼らは同族ではない。
共有すべき、あらゆる経験や感情は、彼らにはない。
あるのは、欲しいおもちゃを前にした、血走った眼だ。
欲望を前に乾ききった喉と、無駄に肥えた身体だ。

スペクトルマンに似て・・

そう・・人類ではない。

この文を見て、彼らの親兄弟は怒りに震えるだろう。
同情するなかれ。
彼らもまた、スペクトルマン
どこまでも共存はできない。

彼らは今日も、ネット社会で「他者からの承認」を求めている。
例外的な承認。
しかし、彼らは信じて疑わない。
例外が集まれば、自分は多数だ、と。
正義だ、と。