MelancholyDampirの日記

ウツな人の独り言

すっかいヒト

タダ働きに甘んじていた頃。
このやろう、タダで済むと思うな、と逆恨みしていた頃。
会社から給料が出ず、家族に極貧を強いていた頃。
障がい者への制度を利用して、まず慣らしで働いてみては?」
会社から言われた。
要は、障がい者は要らんと云うことだ。
憤りは、なかった。
そりゃそうだ、と思った。
経営者の立場になれば、結論は自明だ。
新卒とは新車であり、社の色に染まるまでは、初期投資はできる。
新車市場が活気があるのは当然。
社の未来を託すからだ。
おっさんや、おばさんたち、中途採用は中古車の市場である。
投資など論外。
労働と雇用は、慈善事業ではないのだ。
壊れてる車は論外。
壊れそうな車も論外。
一応走るが、調子悪い時もある、そういう車も敬遠したい。
優秀な転職者が、転職を繰り返しスキルアップするのも納得。
そりゃそうだ、と思った。
前オーナーからお墨付ならばいい車だ!となる。
実績と実力。
現実社会は、言い訳など聞いているヒマなどないのだ。
急に市場にうろつきだした車など見向きもされない。

それでも、会社を納得させるため、何かしらやってみようかしら、と思った時期があった。
作業所とか就労支援とかリワークとか。
主治医をはじめ、どの医師も薦めなかった。
『物足りないですよ?』
『本当に働けなくなってしまいますよ?』
『慣らしどころか、お遊びのレベルでもないです・・』
当時、喫煙所で一緒になる通院の皆さんは、通所?しているらしく、盛んに聞かれた。
どこの作業所ですか?
「どこも薦められませんでした」と答えると、神妙な顔をして心配してくれたものだ。
就労継続支援と言い、最低の賃金が出ると言う。
当時は、なけなしの賃金でも、飛びつきたいほど羨ましかった。

黙って働いた。
まず飲み込む。それが当たり前になった。
そしてほどなくして、会社はボクへの説得を諦めた。
健常者の倍、仕事ができれば良いだけだ。
一日休んだら、二日分やれば良い。
とにかく忙しいだけ楽しくなった。
対人関係でも業務内容でも、難しいほどテンションが心地よく張りつめた。
平日が終わっても、週末には別のスイッチに切り替わるようになった。
それが当たり前になった。
懐かしい感覚。
事務の勧めで持っていた手帳は、何年も前に返した。
何の役に立つのか、とんと使ったことがない。
当たり前の感覚。
ウツになることはもうないだろう。
戻れないし、戻りたくもない。
そういうものだ。
匂いや温度とともに、苦い景色を思い出すことはあっても。
自分を褒めようとも思わない。
自分と家族のために頑張ることは、努力ではなく、義務だ。
義務を誇るようになったら、人間失格だ。
妻子が食べたいものを食べ、欲しいものに近いものを買えるようになった。
まだまだ及第点は遠い。

あの時、医師が、薦めなくて良かった。
最低賃金では、妻子は食わせられない。
ある程度、他人を説得できる高度な業務でないと、望む賃金には届かない。
定型業務ではなく。単純作業ではなく。
誰でもできる仕事に、自分を合わせている時間はない。
自分が持ち上がっていくしかない。

ボランティアでは、作業所の監修的なヒトとも一緒になった。
ため息のような言葉を漏らしていた。
健常者と同じか、それ以上でないと、どこにも紹介はできない。
そりゃそうだ、と思った。
障がい者に厳しいわけでない。
壊れそうな車は、売れないだけ。
彼だって、自信をもって営業をかけたいだろう。
本音は言えないだろう。
彼らも苦しいのだ。
ほぼ通常勤務のA型。不定期のB型。
どちらも、始めた途端、経営は苦しくなる。
能率とか対効果は言うまでもなく、経済の論理を踏まえない労働は嘘でしかない。
経済は、できれば障がい者は雇いたくない。
すっかいヒトが多いからだ。