ウツ人と義父
ボクは義父と面通ししてから、早15年になる。
妻が最初に「これがパパ」と言って見せた写真は「絵」を参照。
小沢一郎氏が、2回ドスを呑んで、安定剤を一回飲んだような漢(おとこ)が映っていた。
妹の「お兄さーん」という黄色い声も、当時のボクには無意味だった。
「死刑は近い」。心配症と妄想は、やはり人一倍だったのだ。
それから、家の敷居をまたがせてもらって、パパが帰宅するまで記憶がない。
やがて「パパ」は帰宅した。僕を見てパパは言った。声は渋い。足が長い。顔小さい。
「死刑は近い」。心配症と妄想は、やはり人一倍だったのだ。
それから、家の敷居をまたがせてもらって、パパが帰宅するまで記憶がない。
やがて「パパ」は帰宅した。僕を見てパパは言った。声は渋い。足が長い。顔小さい。
「よくいらっしゃいましたぁ!」
トイメンに座って、よく竜顔を拝したボクは思った。
トイメンに座って、よく竜顔を拝したボクは思った。
確かに凄みがある。すぐ怒鳴る。だが、数日で気が付いた。このパパすごい人だ。
ウツ人のボクを長い目で見て、いい意味でほっといて、キツイ時には、ボクが隠していても
と言ってくれる。ボクは、なんて幸せもんだ。居場所がある。布団の中でボクは泣いた。
義父は、政治や有名人(除く演歌歌手とキミマロ)はボロクソに言う。
とてもここでは書けない。義父と張り合えるのは妻しかいない(ボクは妻のは屁理屈だと思う)。
とてもここでは書けない。義父と張り合えるのは妻しかいない(ボクは妻のは屁理屈だと思う)。
そんな義父もアカネの前では毒なしバブルスライムだ!
妻が『病人が闘病の末死ぬ、感動モノのドラマ」を観ない?』と聞こうものなら、
と言う優しい人なのだ。
「さういうひとに、わたしはなりたい」
ボクは勤務地の社宅を出てよかった。転地療法ってこういう事かもしれない。