ウソを書くということ
ボクの会社に充てた決意みたいな作文を何度も読み返している。
何度読み返しても、難解でも偉そうでもない。
が、気に食わない、頭がいいと思いやがってと怒号と罵声がとんだ。
何度も読み返す。
・・・・ウソを書くしかないのか・・・
ウツ人のみんな、すまない、書き直すしかないんだ。
今日の午前中に一気に書いた。
『もっと良く考えて自分の言葉でありのままを書くんだ!!』
そう何度も怒鳴られたが、アレはボクの言葉で断じて盗作ではない。
(その作文記事は削除してある・・励ましてくれたのに・・すまない皆)
(あんな名文、パソコンでひっぱたに決まっている!徹底して調べるからな!といわれては方法がなかった)
が、信じてもらえない以上、いや、ウツ人の書くこと言うことを信じる気は初めからないのだ。
一気に書きながら、これこそウソをウソで固めた「会社に媚びる作文」だ、というものになった。
もし10代のボクが見たら破り捨てるだろう。
20代のボクが見ても、ここまでヒトデナシになったかと嘆いただろう。
会社は言う。
家族を捨てて仕事に生きる俺たちを見習えと。
ボクは思う。
あなたは家族に捨てられただけじゃないのか。
他の仕事に使えないと捨てられただけじゃないか。
今の仕事に「ありもしないプライド」をくっつけているだけじゃないのか。
以前、支社で年配の上司が話してくれたことがある。
『オレは病気の子どもの看病をしたかったけど・・会社が許さなかった』
『オレの仕事じゃないのに俺に回して・・子どもにはすまなかった・・・ではすまないと思う』
その上司は、大病院に運べずに、小さなお子さんを亡くしていた。
駆けつけられたのに許されず、奥さんから冷血漢といわれたらしい。
が、その上司は「それでこそ会社人、偉い!」と褒められ戸惑ったという。
酒をあおって中毒みたいになったという。
ソレがウチの会社の常識でそれはおかしい、とその上司は言いつつ、それっきりうつむいた。
辛すぎることであたのだろう。
当時のボクは絶句した。
ボクもそうなるとこであったのだ。
子どもを犠牲にして、家族を差し出してまで勝ち取るものにどんな価値があるのだろう。
ボクが娘の入院に付き添ったことは「今回の異常な行動」という言い方で非常識と噂されている。
無論、オエラが下々にそう思わせているのである。
書き直した作文を見る。
「会社の仕事とは、例え体調が悪かろうと休んでいいモノではない。
給料をもらって生活をしている以上、家族の幸せなど悠長には考えてはいけない。
家族の幸せも会社があってこそ仕事をさせて頂いているからこそである。
病気で休むことは、ただの甘えである。
ただひたすらに上司の言うことを聞き、与えられた仕事をこなさなければ社会人として失格である
・・・・」
これこそ書かされた作文である。
ボクの言葉などどこにもない。
むしろ、ボクが許せない言葉しかない。
しかし、コレを書かなければ、前にはいけないのである。
会社に、ヘタクソな、ななけなしのおべんちゃらを言うしか道がないのだ。
ボクは変人だ。
ウツ人仲間が同じ立場にいたら、ボクは「辞めることで早くラクになってください」と書くだろう。
自分でできないことをウツ人仲間に言ってきたことになる。
今日も眠れないと思う。
クスリも増やしたし、睡眠剤も飲む。
それでも眠れない。食欲はとうにない。
ウソをつくなと子どもには教えている。ソレしか教えていない。
ボクはダメな親なのかもしれない。